2014年10月4日(土) シアター・シエマ(佐賀県佐賀市)
BOOKマルシェ佐賀+C3 2014 宮台真司 辛酸なめ子 トークショー
出演:宮台真司、辛酸なめ子


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佐賀は小さい街だけど、知的な感じがする。
田舎くさくない。


・映画「ぼくを探しに」
通過儀礼ものの映画。
トラウマによってしゃべれなくなった三十三歳の主人公が退行催眠を行う映画。

少年少女を主人公とする青春映画はほとんど通過儀礼もの。
通過儀礼ものとは不完全な状態から大人になるもの。子供が大人になるもの。
千と千尋の神隠しも通過儀礼もの。
自分と世界を改革するもの。

映画でピアノが出てくるが、ピアノは抑圧のシンボル。
子供のころ、バイオリンを習わさせられていた。
バイオリンやピアノは英才教育の象徴。
バイオリンは右手と左手はまったく違うことをやるということで、
数学的にいいということになり、バイオリンを習わさせられた。
ただ、バイオリンを習いに行くときに同級生からからかわれていた。


・映画「ヴィオレッタ」
解釈が分かれるだろう。完成度は低い。

親は無垢な少女を劣等感の願望実現に利用した。
女のコは特別になりたい、平凡ではなく非凡になりたく、
輝きのある存在になりたいという女のコの欲望がある。
母親から見ると、非凡な輝きを満たすことが子供のために何かしてあげることになる。
思い込みだが。

初期段階では共犯関係がある。
見た人がどれだけ重視するかで一方的なものか、そうでないのかで解釈が変わる。

フランスの恋愛文学、エロティシズム小説の伝統がある。
少女は無垢に見えて、実は悪魔。
無垢に見える悪魔に滅ぼされる男は福音なり。

アメリカの場合は、少女は単なる無垢。
すべてを受け入れてくれる無垢の少女。
フランス人がバカにするイメージ。


最近、また風俗で働ている女のコの取材をしている。

医学部や慶応、早稲田、東大など高偏差値の大学に通う風俗嬢の
ほとんど、すべてが親を恨んでいる。
この親さえいなければ、別の人生を歩めたのにとか
親が教えてくれた社会は実は嘘だったとか
この親さえいなければ接触できた世界に向かう。
ストイックに育てらたせい。

元日経新聞記者がAV女優だったというのが話題になったが、
彼女は宮台の本を読んで援交少女になったという。


高偏差値でいろいろな屈折をかかえている人は現にいる。
親への恨みがどこから発生するかというと、親自身の課題を子供の課題と重ねること。
親の課題は子供の課題となり、社会学で言うと課題分離の失敗。

子供が親の所有物みたいな扱い。
親の人格と子供の人格はそもそも別。
結果、思えば思うほど、思った方向に行かなくなり、
親が必ずこんなはずじゃなかったというマイナスの印象を子供に与える。

これがあなたにとって輝きがあるはずなんだ、
あなたはこれで幸せになるはずなんだという押し付け。
楽器を習わせる、御受験をさせるとか。
絶対お前のためになるんだ、あとで親に感謝するぞ、と。
御受験は典型例で、昭和30年代後半から始まった。

親への恨みの背景の一つに、親が教えてくれなかった社会を知る方法がなかったこと(宮台)。
それで映画を見だした。
12歳から10年くらいは映画は娯楽ではなかった。
世界がわからなかったので映画を見ていた。
だから、映画批評は娯楽というモチーフを完全に欠落させている。

昔は名画座があって、当時150円で二本、三本見れた。
週末のオールナイトで五本見れる。
オールナイトを毎週見ることで、月二十本ほど見れる。
一年見ると200本になる。


インターネットでナンパクラスタという界隈のがあって嫌な臭いがする場所。
ナンパの数を競う場所。
ナンパクラスタの多くは親を恨んでいる、特に母親に自己実現の道具にされてきた
耐久消費財扱いされてきた人が多い。
親が良かれと思っていろいろお節介を焼く抑圧を受けた結果、
頭のいい子供たちは女は風俗嬢、男は鬼畜系のナンパ師になる確率が高い。
宮台真司氏、元祖ナンパ師。


親の主観では愛の表現。
愛するという余裕があるラッキーな環境でもある。
ギャル系のジャンルの風俗嬢は、逆にネグレクトされてきた女のコが多い。
良かれと思ってされるのとは逆で、感情のプログラムがうまくインストールがされていない。
人の喜怒哀楽に反応できない人たちがすごく多い。
もちろん男にもいる。

両方が性的な逸脱の動機付けを与える。
・思い込みによる過干渉
・ネグレクト

性の問題というと、自分の親との関係を自分がどのように処理していくのか、
その処理の仕方をめぐるハンドリングの装置だった気がする。
自分の性をどのように自分でハンドリングするか、自分と親との関係に表れる。

今日のトークショーのテーマは「つながり」だったが、
人間の課題は獲得したものを継承していくこととすると、
自分たちが何かをすることで、自分より若い世代に何を残すのか
このような主題がますます重要となる。


感情の劣化が世界を問わず進んでいる。
昔は「キレる少年」と言われていたが、今では「キレる老人」になっている。
感情というものは先天的ではなく、あとから埋め込まれる後天的なプログラム。
そのインストールがうまくいかなくなっている。

ただ、感情のインストールしようと思ってそのとおりできるものもでなく、
インストールしようと思ってまったくでたらめになってしまうこともある。
その点を映画で見てほしい。


援助交際の初期の形もそうだが、不良から出発したわけではなく
偏差値の高いところから出てきた。
それには共通する動機がある。
恵まれ過ぎているというのがコンプレックス、劣等感が動機になっている。
自分はダークサイドがない。だったら、自分がダークサイドを作る、と。

人よりも深いダークサイドを抱えて生きると決断すると、
風俗の世界、JKビジネスの世界に入る。


AV監督のバクシーシ山下。
自らが何の変哲もない中流、何も特徴のない、
このままでは無名の入れ替え可能な存在として終わるとして、
自分と違う人物をモチーフとしていろいろな男と女を登場させた。

バクシーシ山下を会わせろとすぐに会いに行った。
すると、紳士的で普通のやつだった。
やはり、私はまったく平凡な人間なので、平凡であるということがつまらなくて苦しくて、
という動機だった。

金がなくて経済的弱者が風俗をやっていることばかり言われているが、
そうではない層は間違いなくいる。


子育てというのは勘違いの嵐。
良かれと思ったことが全部裏面に出る。
細かいやつは人を不幸にするから細かいことを言うな、いつも言っている。
自分は善とする態度を取らないというのは基本中の基本。
自分のいうことは大体間違えているけど、言わせてもらうと、それはやらない方がいいと思うよ
という風に言えばいい。


親に反発することでナンパ師になった(宮台)。
ネタではない。千人弱くらいナンパした。
親への復讐のモチーフがあって過剰になった。
それで劣化した。
劣化した状態で、援助交際の形を見つけた。
援助交際の形が自分よりもはるかに輝いている、幸せな人生を送っていると思った。
劣化していたので彼女たちの運気にあやかろうと思って、取材を始めた。
その経験がなかったら、きたねえ女たちだで終わっていた。


スキンシップが存在する環境で育った子供、スキンシップがない環境で育った子供、
子供の責任ではないところで、感情、心身の方向づけが変わってしまう。
もちろん、個人の性格もあるが、環境で感情の方向性が方向づけられる。

遺伝ではない、文化的な継承、、、自分の親からされたことを自分の子供にしてしまう。
子供に不思議な特性があると、親を見ると必ず対応物があり、祖父母が同居していると
その祖父母にも対応物が必ず見つかる。これはある意味、恐ろしいこと。
親が子供を抱え込むというのは恐ろしい。
親のバカがうつらないようにする必要があり、
そのために親が子供を抱え込めない状態にすること、

子供にとって親が唯一のホームベースだという状況が
病的だという社会的に評価していく必要がある。

日本では逆に親が何をやってたんだと言う。
親が何かしていた、してないで子供がどうにかなる社会がそもそもダメ。