2020年02月15日(土) KBCシネマ(福岡県福岡市)
映画「さよならテレビ」舞台挨拶、トークイベント
出演:阿武野勝彦プロデューサー、KBC解説委員長 臼井賢一郎

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■臼井
1時間40分の映画版。ドキュメンタリーが77分あった。私はドキュメンタリー版も観ていて、今回、映画版も拝見した。やはり、映画になると独特の編集があり、人物の描写がさらに広がった感じがする。とりわけ3人の出演者に対する思いは強いと思う。今日はお客さんの中にいろいろな立場の方がいるが、私は阿武野さんと同業になる。同業が思うところもあるが、素朴にどう思うか、いろいろ意見を伺っていきたい。

私自身が思ったのは、もちろんこれは東海テレビの作品だが、あたかも自分が作品を作ったというか、鏡というか、もろにブーメランを投げられてるような強い思いにとらわれた。どういうことかと言うと、冒頭のあのタイトルベースでもカメラのレンズがあって、すごい眼差しがあった。そういう思いを持って観たのだが、何と言っても発案した東海テレビ、阿武野さんの考えを伺いたい。


■阿武野
東京、名古屋、大阪などいろいろなところで上映して、会場の後ろで皆さんがどんな風に観るのかな、と。地域差もあるが、名古屋と大阪は終わった後、拍手が起こった。どういう拍手か結よくわからなかったが、結構笑う。ここで笑うんだ、と。大阪と名古屋では結構笑っていたシーンがあった。渡邊君がテレビ大阪に入って、六甲で食レポをやる。あそこのところは結構、大声でみんな笑う。福岡は笑わない。福岡は笑わなかったと、今度は富山に行くので、富山で福岡はわらわなかったという話をするが、やっぱり、県民性だとか、その日の天候だとか、その日の観る人の気持ちだとか、この映画の距離感みたいなもので随分変わるので、福岡を一概にまとめるなということもあるが、同じように大阪もまとめるなということもあるが、地域性は随分あると思う。

東海テレビではこれは12本目のドキュメンタリー映画。前作は「眠る村」という名張毒ぶどう酒事件の第三弾ということで、KBCシネマでは二日間上映された。その前が「人生フルーツ」だった。意外とそこから26万何千人の方が映画館で観ていただいており、まだ北海道では月一回上映を続けていて、いい夫婦の日と言うことで22日は人生フルーツの日をやってみたらと言ってみたら、22日ではないがやってくれた。大体、100席くらいいつも満席になっており、三年続いている。それを作った局がこれなのかと言われるケースが結構ある。

この作品は「ヤクザと憲法」というドキュメンタリーと「ホームレス理事長」というドキュメンタリー映画を2作一緒にコンビを組んできた圡方くんが「ヤクザと憲法」以前に企画を持っていて、「ヤクザと憲法」を先行させた。彼自身のテレビ歴、テレビマン人生の中で今、非常にテレビは危機的状況にあると思っていて、ドラマ系から入って、バラエティをやって報道に来てという中で、テレビはこれから生きていくんだ、テレビはどうあったらいいんだろうという根本的な疑問があって、「テレビの今」という企画書を5、6行だったが持ってきたのが発端。

いつも私どものドキュメンタリーはそうだが、一人のディレクターあるいは記者がドキュメンタリーを長期でこの題材で追ってみたいと言ったら、それを形にしていくという形なのでヤクザの事務所と入るのと同様にテレビ局の中をそのまま映したというのが非常にプリミティブな形。


■臼井
企画のきっかけの話を伺ったが、とりわけ冒頭の部分の圡方さんの話しっぷり、罵倒のされ方とかいろいろあって、さすがに圡方さんの企画意図はどの程度のものだったのかな、と思った。ただまあ、やってみるかぐらいの感じで東海テレビは認めてやったのかと思えたが、そのあたりはもうお前、もうやっているじゃないかというところがスタートなのか。


■阿武野
これは圡方と私と同じ認識と思うのだが、テレビマンはものすごく頭でっかち。理屈で物事を考えるという悪いクセがある。私たちは「手ぶらのドキュメンタリー」という言い方をしていて、手ぶらで現場に行こう、と。あまり先入観を持ったり、勉強したり、こういうロジックで人を説得し、あるいは、こういう台本上の中にシノプシスを書いておくというか、あらかじめそういうことをして現場に行くのをやめよう、と。

そういう意味で「手ぶらのドキュメンタリー」と言っているので、どういう企画意図があってというところを責められても「頭の固いことを言うなよ!撮ってみなきゃ、わかんねえじゃないかよ!」という、そういうコミュニケーションの仕方。それはすごく何かを表現するときに自分の頭を中心に構築するやり方と現場で出会ったものをどういう風に映像化して表現するか違いがあると思う。


■臼井
そう言われると、納得できる部分として、最後のロールスーパーにいみじくも出演の御三方の名前が出る。あの三人は非常にいろいろな立場があって、本当に真剣に物を考えている。作品を観ていると、ますます思いが入って魅力を感じるくらいの方で、あの三人に至るプロセスはどうだったのか。多分、他にいたんじゃないかと思う。


■阿武野
現実に、御嶽山が噴火して息子さんを亡くされたご家族に取材を続けている人間、局の社員ディレクターにも密着していた。それは私がそのディレクターと一緒に仕事するときに、その素材も全部使うよと言って、番組の途中で取材記者がびりびり出てくるという家族の気持ちというドキュメンタリーだったので、素材を使ってしまったということもあるが、段々、取材していくうちに三人に絞られたのであって、最初から台本上この三人に決めた形ではない。報道局長とかいろいろな人間にも取材をかけているが、可もなく不可もないというかつまんない。監督をやった圡方に言わせると、こういう質問にはこうやって答えて、ちょっとはぐらかすというある意味、素の個人が見えてこないというものでしかなかったので、素材としての面白みがないので落ちたということ。


■臼井
特に取材のプロセスの中で印象が残り、みんな印象に残るが、澤村記者はかなり理屈を持っていて、ジャーナリストだと確かに思うし、その辺のプロセス、説得の話を非常に興味深く観たのだが、かなり圡方さんもさすがだなというか仕掛けている。仕掛けて澤村さんに考えさせているなという気がしたが、その辺はどういう狙いか。圡方の心の内はどんなものか。


■阿武野
澤村記者はどこか言うだけ番長的なところがある。頭でっかちなところもあって、行動が伴わないということがあるので、取材を通じてある意味では人間が変わっていくということがあっていいわけで、それを取り組んでいくものをそのまま映像の中で表すという意味では澤村は50過ぎてから記者として剥けていくというものがあっていいんじゃないか、と。

当初、編集段階で澤村記者はもっとピカピカのジャーナリストとして描かれていた。これは誤解を生むよと私は言った。さらに、澤村記者はこの組織の中で浮いてしまって、言ってみると契約を切られるというケースもあるから、彼のできるところとできないところ、論理として持っているものとそれを実現できないものを垣間見せないと作品としてもちょっと映る部分もあるし、表現された組織としてはあんなのウソじゃねぇかという話になるのでそこのところはきちんと描かこうよと言った。


■臼井
彼も取材の中で逆にこれを使ってやるというかこの作品の取材を使ってオレを見せるというかそういう雰囲気もするが、圡方さん、ディレクターも学ぶし、取材された側も学ぶ。なんとも言えないサイクルができていると思う。


■阿武野
どこかで舞台挨拶、講演やるというと澤村さんは意外にいる。講演大好き、シンポジウム大好きで、ある種のオタク性があって、ナベちゃんはナベちゃんのオタク性があるが、澤村には澤村のオタク性があると見る人もいる。もし、ここに澤村がいたら発言し出す。

ドキュメンタリーの作り方はやっぱり自由だよと私たちは言っている。中でもお金を貸すシーンが出たりすると、えー!と思うだろう。ホームレス理事長のときにお金を貸す貸さないというやりとりのシーンがある。圡方ディレクターで、山田理事長と言う人にお金を貸してくれと言ったが、そのシーンそのまま全部ある。15分くらい、貸してくれ、貸さないというやりとりがあり、山田理事長が泣き始めた。

何で貸してあげなかったのかと僕が聞いたら、貸すと物語が変わると彼は言った。ドキュメンタリーは物語を変えてはいけないと当時思っていた。ドキュメンタリーはそういうものであるべきだ、と。観察して、状況を変えないものだと彼の頭の中にあったので、カメラが入った時点で変わるんだよと言った。貸してもいいけど、あたかも貸さなかったごとくに描くのはダメだよ、お金で牛耳られていると向こうが思っていたら、貸したシーン以降に態度が変わる、目つきが変わる、いろいろなことがあるので、貸したというシーンがあれば、その後の関係性が変わろうが、何しようが、ドキュメンタリーとしては許容範囲だと言った。今回はそれをこんな風にして貸した。いくら貸したか、返ってきたかは言わないことにする。


■臼井
非常に興味深いシーンで、そのシーンについてはまた後から質問があると思う。アナウンサーの福島さんは非常に生真面目、大真面目な方。彼のベースはセシウムの件がああったと見るべきか。


■阿武野
実は福島さんがセシウムさん事件のときにあんなに傷付いていた。それをずっと6年も7年も抱え続けていたということを私も知らなかったし、取材スタッフも知らなかった。おそらく社員は誰も知らなかった。それくらい福島が負った傷が大きいよということを初めてあそこでこの映画の中で描いた。そうすると年に一回やっている放送倫理を考える全社集会は一体何だと社員は思ってくれたりしないか。本気でこれを礎にして、何かをしていくという「何か」ということを考えてくれるのではないか、と。だから、福島の心の中の根っこが描かれたことで、よく「福島さんはどういう風にこの映画を受け止めているのか。」という質問があるが、福島本人は悪い印象を持っていない。

タイムキーパーの女性がちょっと厳しめなことを言う。最後はちょっとどこかの呑み屋に行くと、笑顔で受け取るじゃないか。あれなんかは厳しすぎると思うかもしれないが、人の受け取り方はいろいろで、モニターをしたとき放送が終わったあとにみんなで呑もうかと行ったときに福島とタイムキーパーの二人がいた。須田ちゃんと言うが、そのときに「須田ちゃんが僕のことをああいう風に思っていてくれたんだ、うれしい」と彼は言った。

その前に、このドキュメンタリーは会社の中で批判された。東海テレビのイメージを棄損したと、役員を始め、本当に私が「さよなら東海テレビ」なりそうな感じだった。そのときに須田ちゃんがかわいそうだ、と言われた。あんなシーンを使われて、切り取って、悪いところばかり盛り込んで、東海テレビのイメージを棄損した、と。「中に描かれた人間の中で傷付いている人間がたくさんいるんだよ!須田ちゃんなんかひどいじゃないか!」と、須田ちゃんに成り代わって私を批判する。そして、私が「須田ちゃんがそう言っていたのか?」と聞くと、「えっ」と言う。「言ってたの?須田が?」「いや、聞いていない。」「聞いていないのにひどいじゃないか。オレを批判するのに須田を使って。須田はそんなことを言っていない。須田は私はもっとひどいことを言っている」と言った。

という話をして、タイムキーパーはドキュメンタリーのスタッフ。二人優秀なタイムキーパーがいて交代交代にドキュメンタリーを担当する。第一稿というのは編集を始めて一番最初にできるもので、55分番組だったら2時間くらいに縮めたもの。第一稿ができて、一旦モニターするときに担当のタイムキーパーを呼ぶ。見てもらう。いろいろなことを言う。「この主人公のおじさんが気持ち悪い」とかいろいろ言う。それが段々、二稿、三稿、四稿となると、全部見ながら彼女たちがどういう風に見てくれているのかというのをすごく大事にしている。ドキュメンタリーを作る上で欠かせない存在で、その意味ではすごくメディアリテラシーというか、リテラシーが高い、読み解く力がすごく高い。そういう人たちが絡んでいて番組が成り立っている。

光市母子殺害事件のときに、みんな本村さんに成り代わって起こったというのがあった。私たち、そのときに被告弁護団側に入って取材をして、「鬼畜弁護士を取材して番組にする、お前らが鬼畜だ」と言われてひどい目にあった。これは社長に言われた。お前は鬼畜だ、と。それが、何とか賞を取ったら、オレがやらせたと急に言い出した。人の目に成り代わって人を批判してはいけない。自分が批判するならいい。オレが許さないというだったらまともに向き合う。


■臼井
よくわかる。私はドキュメンタリーをやるが、最初の編集マンあるいは仕上がりを見た最初の音声の人がどう言うか。面白いと思うか、思わないか、最初の視聴者という感じでもあるし、当然プロだというところもあってありがたいなと思う。須田さんというのはあえて狙っていたのか。福島さんを描くに当たっては彼女の3シーンは欠かせないなと思った。最初こそ厳しい言い方をしたが、最後、やめることが決まった福島さんには何とも言えない暖かい表情を送っている。須田さんはそういう欠かせない人なので、狙ったのか。


■阿武野
狙ってはいない。

私たちのドキュメンタリーはとにかく無駄打ちをする。1年7ヶ月、他の仕事はあまりしなくていい、と。会社の中でずっと回していた。報道局にいる人はほとんどアップで何カットもいろんなシーンがある。

女子社員の中で、タイムキーパーの中でもう一人、河合舞ちゃんがいる。もう一人は須田ちゃん。須田ちゃんがああいう風に感じで嫌な感じで映っているのは阿武野さんが河合舞ちゃんと親しいからだ、と女子社員が言っていた。それはすごかった。我々がいつもいろいろなところで組織だとか、人とか、家庭だとかの中で取材させてもらうが、その取材先でどんなハレーションが起こっているかというのをやっぱり体験してみたことだった。それをハレーションが起こり続けている組織の中でずっと仕事をしなければならないということを初めて抱えたが、実はそれはずっと外でやり続けていたのが我々だという。そこが得るものだったと今、思っている。


■臼井
まったく同感。冒頭に感想を言ったが、カメラを向けるということはこういうことだったのか、と。それなりに取材者として相手を最大限尊重しさらに自分自身をさらけ出して切り結んだという思いはそれなりに持っていたつもりだが、そんな認識が甘かった。内側を撮ることは知恵を付けられた感じがする。


■阿武野
圡方はニュースデスクに戻ったが、ときどき逃げたいという顔をする。やっぱり依然としてハレーションは収まらない。傷付いた。ニュースデスクたちは相当、傷付いた。傷つけたということをずっとこちらが抱えないといけない。しかし、時間が解決することと仕事の中でどういう風に再構築していくかということが起こりはじめている。

「撮るな!」と言ったのは編集長だが、彼がドキュメンタリーのプロデューサーとしてつい最近一本やらなければならなかったが、やっぱりびびっている。取材先に行けない。行けない自分を抱えないといけない。ナレーションを誰にするか、そういうものでも違う世界の違う見方をしなければならなくて、報道局にありながら、ニュースとドキュメンタリー両輪と言いながら、意外と方程式が違う。なかなか交われない。ドキュメンタリー一本やると、出来が悪いとめちゃくちゃ言われる。ニュースだとアッと終わる。ちょっと10日くらいすれば、どんなチョンボしてもまあまあ忘れたなあと思うが、ドキュメンタリーは忘れてくれない。忘れてもらえないものを作るということに意味があるという思っていてほしいとあるので、私のところはニュースをやっている記者たちがこういうのがやりたいと手を挙げたら、すぐにできるシステム。年間4、5本に手を挙げてくれれば、熱意さえあれば、じゃあやって、と。

それを繰り返していくしかない。組織はそう簡単に変われない。10年以内に東海テレビはすげえぞと言われる組織になっていないと、おそらく潰れている。映画監督の崔洋一さんと会ったとき、東海テレビはグラナダテレビになれるん、一緒にやろうよと言われたことがあった。一緒にやりたくなかったので黙っていた。何か言うと、BBCに対抗するローカル局が世界に発信している、そういう図式が描けるよと思ってくれて、すごく熱くラブコールをくれたことがある。九州局、KBCもそういう局になっていかないといけない。さっき博多駅からここまでタクシーに乗って、一番親しみを感じている放送局はどこですかと聞いたら、大体、いろんな街に行くと聞く。どこかと思うか。なんと、NHKと言った。やばい、民放。名古屋で一番親しみを感じる放送局はどこかとタクシーの運転手さんに聞くと、「東海だ」という局にならないといけない。


■臼井
そこはホントかなと思う。それは一人。実は会場にも各社の方がいて、それぞれ思っていることは違うと思う。名古屋もそうだろうが、なかなか福岡も競争は激しい。それぞれ主張するエリア。今日の運転手さんはそうだったということで、多分、そこはそれなりの数字が出るくると思う。


■阿武野
ほら、数字とか言った!


■臼井
それでは、数字の話をする。
視聴率の部分はかなりあって、九州朝日放送においてもどちらの放送局においてもやっている話だと思う。斉藤部長はドキュメンタリーをずっとやっていて、管理職になって数字のことを仰っていた。非常にあの方の過去をわかっているから面白かったが、オフィスで毎朝どんな感じで数字の総括をやっているか。


■阿武野
報道局長が去年の6月に変わった。それから、まったく数字のことを言わなくなった。雰囲気が明るくなった。一人の管理職でこんなに変わるもんだな、と。要するに、ぎゅうぎゅうに数字だ、数字だとやり続けたことで何が起こったかというと、つまらない職場ができただけ。マーケティングだと言い出す。何のマーケティングかと言うと、視聴者目線でとか、視聴者が今何を求めているかとずっと言い続けている。

誰だろ、視聴者って。ずっと自分でやってきたことを考えてみると、自分が発見したことをほら、こんなと伝えたいばっかりにテレビ局にいるわけで、みなさんが何を求めているかをリサーチして、それに合わせてお弁当を作って出すということをするために入ったわけではない。本当にチョモランマに登ってこんな風景だと自分の思い出として秘匿したいと人もいれば、こんなだとみんなに見せたい、その見せたい気持ちが強い人がテレビ局にいていいはず。だから、ヤクザの事務所の中に入ってみて、人間社会のチョモランマだと、今、見せようよ、みんなに見てもらおうよ。テレビ局もそういう意味では同じ。そこのところが逆転の発想をしていくうちに地盤沈下していく。

数字って何だという、数字以外を信じられないという。我々の世代から下は偏差値が大好き。偏差値好きでしょう。偏差値いくつ?みたいな。そういう世代に入って、コントロールされやすい気がする。やっぱり、リーマンショック以降、この数字がお金につながるんだと叩き込まれた。民放の社員たちは。そこで1%でいくらだよ、それが給料に跳ね返ってくるんだ、と。何のために仕事をしているのか。金をもらうためにやっているのか。つまんねえなあという感じ。


■臼井
視聴率の話をすると、切りがなくなるが、私も作り手としてやっぱり作りとして振り切れたもの、それは自分の情熱だったり関心事項だったり、それを出して、それが見てもらえることが一番幸せ。結果としてそれが見てもらえる。見てもらえないというのは商品としてダメなんだ、と。


■阿武野
商品と言うのがもうダメ。


■臼井
見てもらう以上、私は商品という言葉がどうかわからないが、それはさらされるものだと思うので、決してそこは正直おもねるつもりはない。そこは最終的には見てほしいというのは作り手のベースにあると思うので、数字市場ではないけど、そこは考えて結果として「数字が」というところは常に思う部分がある。


■阿武野
やっぱりテレビの話になったが、これは映画の鑑賞をするということと自分の現実社会を頭の中で回すのというのがエンターテインメントだと思って観る人が実際いる。

そういう方のために話をすると、澤村記者の部屋がある。あれはセットだ。澤村記者が最後に監督に対して、これで僕の取材が最後、終わりだけど
テレビの闇はもっと深いのじゃないか。あれは僕が書いたコメント。東海テレビの報道局と出ているフロアはセット。

と言ったら、結構信じる。違う。ドキュメンタリーはどういうものなのか。ドキュメンタリーはこうあらねばならないというのがあるのか。とりわけ映画はもっと自由度が高くていいのではないのか。どうしてテレビはジャーナリズムの話ばっかりになるのか。今日はそれを考えるというところだったらいいのだが、実はすごく楽しめたという人もいれば、テレビだけではなく私の会社も同じだという人もいれば、日本の社会の縮図が見えたという人もいれば、じゃあテレビはどうしたらいいのかという人もいる。

南の島の話をする。我々はどこから来たのか。我々は何者か。我々はどこへ行くのか。ゴーギャンの絵がある。「我々」というのを「私」と変えたり、言葉を変えていくと、すごくいい問いになる。ドキュメンタリーを作るときにたまに考えたりする。ヤクザはどこから来たのか。テレビはどこから来たのか。テレビは何者か。テレビはどこへ行くのか。どこに行くのかというのを私たちは考えないといけないだろう。

もう地上波いらないよという時代に入ろうとしている。そのときに、それでもKBCだけは残してくれという福岡の人たちが言うか言わないか。NHKではなく、KBCにお金をだすと言い出すとか。

そのためには今いる人たちがどんだけ奮闘するかにかかっている。本気じゃないものは結局見ない。「ポツンと一軒家」はまさに本気。あれは見られている。誰かがしゃべったが、取材者がすごく丁寧な言葉で道を聞いたりしている。こんな丁寧な言葉で聞く番組はない、と誰かが言っていた。つまり、表現するときにこの人たちとどういう関係性かというのをきちんとみんなで話し合いながら取材の仕方を決めていったのではないか。それが通底していて本気というものにつながっているのではないかと思う。本気ではないものをこれからは見ない。

「ニュースっぽいもの」とか「ドキュメンタリーっぽいもの」を作り続けてきた部分がテレビ離れを起こしているのではと思って、私たちは一本、一本、丁寧にやろうとしている。また、今回は裸になってみる。裸になれない組織は一番脆弱だからという一つのテーゼを作って、どこまで裸になれるかというのをやってみよう、と。この程度かと随分言われて、裸になって笑われている感じが「そんななの?」という、裸になった後に。裸になったものを見て、ここから裸になる勇気があってそれでつながろうとしていると思ってくれれば、ひとまずそれでいいかな、と。


■臼井
今の話を通じていればありがたい。

一つ、作品の話に戻って、最後の最後のところで圡方監督が半ば軽いというわけではなく、編集室のありのままの状況だろう。善悪二つに分けて、編集長たちを悪者にして、3人はいい人たちだというある意味、構成の基本方針みたいなああいう調子でしゃべっている。しゃべっているのはいいが、あれを最後に構成した意味は何か。これは表現か難しいが、場として最後の意思表示、どういう意味合いがあったのか非常に関心を持った。


■阿武野
これのタイムキーパーは河合舞という女性だが、第一稿の最後のシーンを見て泣いた。こんなに悪者にならなくていいじゃないか、と言った。やっぱり、制作者の覚悟で、デスクたちだけを悪者しないよ、私ももっと悪ですよ、と。露悪的な自分というのを出さざるを得ないというか、制作意図というのはこういうものだということを開示して見せるしかない。辞めてちょっと希望に満ちたようなところで終わりにすればいいのでは、というやりとりがかなりあった。そうすると、おそらくヘボなありきたりなドキュメンタリーの毛が生えたくらいもので終わるのではないかと、制作者も裸になるべしという意味で最後に出した。そのまま残った。


■臼井
あの録音というのはどういう状況なのか。


■阿武野
常に録音している。


■臼井
圡方監督にはずっとピンマイク付いている、と。


■阿武野
ピンマイクか編集機、編集室にあるパソコンのところにピンマイクが付いているのか、それはちょっとわからないが、本人に付けているというわけではないというケースもある。


■臼井
少し話が逸れるが、技術的な話になるが、今回の作品はかなり音を相当回している。相当丁寧に拾っているし、渡邊さんの厳しいシーン、派遣会社の方からの電話のシーンなども見事に音を拾っている。大阪のシーンも拾っている。描く上、迫る意味で、かなりそこは徹底している。


■阿武野
音はすごく大事。音がないと結局、下手くそなナレーションを書いたりする。そういうものを排さないといけないという意識が最初からある。これは絵も勝負だが、音の方も勝負かもしれない。だから、付けられるものは誰にでもピンマイクを付ける。渡邊くんたちがテレビ大阪で暑いなあと言って坂道を登っていくシーンがあるが、あれは4人いる必要はない。1人は東海テレビの音声マンがついて行っていた。みたいな形で、常に見えてていいから音を取れということ。だから、きちんとした制作意図が音に対してあった。


■臼井
よく聞かれると思うが、カメラの存在が報道フロアにやっぱり最初は違和感の極致みたいな感じだったが、ずっとカメラを置いているとなくなったきたか。プロはどう感じたのだろうか、と。


■阿武野
意外となくなる。最初からもういいよと受け入れるか、最初に拒絶が起こるのかという、どちらかいいかと後から考えた。何の意図もなくいいよと言ってしまう方がもしかしたら怖いと思うようになって、ある種、取材をするということの後ろめたさというか、テレビマンでいることの後ろめたさというものを我がデスクたちはまだ持っているから、それを映されたくないと思ったから拒否したんだ、と。

そういうことを考えないデスクたちの方がおそらくヤバいよと思い始めたので、意外といいねと思った。拒絶したことはすごくバカ野郎と思って、「いつも撮っているくせに何だ、自分たちが撮られるとそんなのか。」と言ってやろうと思ったが、私がそれを言うと取材環境が荒れ果てるのでやめてくださいと言われた。ただ、やっぱり私だったら平気で映させたと言えちゃうことの方がちょっとマズいと思うが、どうだろうか。


■臼井
そこはもう理屈じゃない感じがする。そこはドキュメンタリーを撮るにあたっての人間性というか、圡方さんは独特だなと思って、あの人に迫られる割ととNOと言えない感じがある。私の感覚すると。阿武野さんみたいにズバっと来ると、もういいと言うようなこともあるかもしれない。それは人間臭い現場での理屈や論理を超えたものかなと思う。


■阿武野
やっぱり、テレビマンは後ろめたさを感じている。私もいつも後ろめたいし、そういう気持ちがある。それを撮られることに対して、どこまで許容できるかなと思ったときに、一番最初に拒絶してくれたということは今、考えるとやっぱり尊い。二ヶ月、それで動かなかったが。

冒頭のあのシーンをなしにするか、なしにしないかの論議の起こった。取材が合意して以降のシーンだけ使えと言うが、それはNOと答えた。今までものを全部使う。折れなかった、こちらが。結局は我慢比べで最終的に自分たちがNOと言ったまま取材ができなくなったんだと、きっとニュースデスクたちは責任を感じていただろうし、意外と編集マンとかカメラマンなど若い記者たちはカメラに対してそんなに拒絶する気持ちはない。やっぱり、撮れたものを最終構築する人たちの中に根本的に後ろめたさをが一番浮かぶものだと思った。その後ろめたさをテレビ局の経営者まで持ち得るかどうかがきっとその局の愛され度にかかわってくるような気がする。


■臼井
重要で一番聞いておかなければいけない質問。タイトルが「さよならテレビ」になっているが、この作品のことをまったく知らないときに「さよならテレビ」とはどういうことなのだろうと思った。現場の内側を撮ったという話だったので、いろいろ問題点があるということ(今日、みんなわかっていること)をそれを押さえていっているのではとイマジネーションを持った。となると、さよならテレビにさよならするというのはある意味、もっとキツい言い方をすれば「絶望」かと思った。

でも、そうじゃない。一旦、ここでさよならしようという意味かなと思ったし、固い言い方をすれば自己検証をやって、次のBライン(と言うと大きな話だが)、次に向けての決意表明かなと思ったりもしたが、そのあたりはどういう風にとらえるべきか。


■阿武野
私が38歳のときにメディアリテラシーの番組を作れと報道局長から命じられた。今から23年前くらい。メディアリテラシーとか何それという時代だった。報道局長はすごく新しいものを取り組むのが大好きな人だった。メディアリテラシーのドキュメンタリーを作れと言われたので映画の中に入っているが「Z」とあった。営業ネタだとか、そのころは「まるぜん」と言っていた。まるぜんも全部暴露する、あなたが持ってきている妙なネタも全部暴露する、社長会長が持ってくる秘書ネタも変なネタも全部暴露する、それをやってよいというのであれば請け負うと言った。

取材を始めて片方で小中高校の視聴覚教育の延長上にメディアリテラシーが作られるべきだという仮説をそのとき作って、小学校でカメラを回して、毎日発表しているという学校があって、高校生がドキュメンタリーを撮るというネタもあったので、その二つを追いながら返す刀で放送局の中を追おうと思っていた。

しかし、しばらくしたら営業に転属になった。つまり、そういうこと。逆鱗に触れた。ある意味、23年越しのリベンジ。まさか、圡方がZネタをやると思っていなかった。こういうことが起こるんだ、二十何年もテレビ局にいて、そういうことが起こるんだと思った。圡方は圡方の企画意図があり、プロデューサーはプロデューサーの受け止め方と考え方とこの題材についての歴史があってそこが融合していくというか混じり合っていく瞬間があった。

メディアリテラシーの番組はみんな気持ちの悪い放送局が好きで、なんかこんな風にニュースができていると言って、えー!それもそうだけど、それだけじゃねえだろというやつばかかり幻想を振りまくみたいな、そういう部分が多いので、それもうバレているよ、と。バレていることを繰り返したらダメという考え方があって、やっぱり裸になるという、それをやらざるを得ないなあという風に私は思ったので、このとき58、59歳くらいでちょうど定年の時期なので圡方がテレビの今という企画書を持ってきてしゃべっているときに、「これはさよならテレビだなあ」と言ってしまったら、大きい声で圡方が「それです!」、と。何だか知らないけど残ってしまったという。

一回ここできちんとお別れをするなら、お別れをしてもう一回出会えるときを待たなくてはという思いもあって、、、その辺の気持ちはパンフレットに書いている。武田砂鉄さん、大谷昭宏さんが書いてくれている。東海テレビの報道局の見取り図というものも出した。これは安全上、著しく・・・

そう、安心安全クソくらえというのが私らの考え。安心安全と考えているからテレビはダメになった。


■臼井
話が長くなったので、ここで会場から質問、意見何でも結構なのでいただきたい。


■質問(小室健一)
「さよならテレビ」を観て、想像以上に視聴率、視聴率至上主義にこだわっていると思った。阿武野さんに聞きたいのが、今回、取材、ドキュメンタリー作成を通して、今後、テレビはどうあるべきかと思ったか。ジャーナリズムを求めていくべきか。大衆迎合するべきか。


■阿武野
自分たちが作りたいものを作っていく、それを本気でやる、ということが原点。それと、金科玉条のように三つの役割があると言ったが、あれを本気でやった方がいい。本気でやらなければ、テレビ局はいらないと思う。

 1 事件・事故・政治・災害を知らせる
 2 困っている人(弱者)を助ける
 3 権力を監視する

じゃあ、ネットかという話があるが、「さよならテレビ」に関連する映画だとキャンペーンをやる。取材を40何社から取材を受けた。そのうち、半分以上はネット。一社づつ受ける。玉石混交かもしれないが、ライターとして来る人たちは結構めちゃくちゃ。原稿がぐちゃぐちゃだったり、質問がおかしかったり、ほとんどずっと取材者がしゃべって、これで記事になるのかなと思うことが多い。最終的に丸投げのようにして原稿が送られてきて、それをなおすというすごく大変なことも起こる。
結構読めるよと言われるが、それは我々が一生懸命なおしているから。ということは、テレビの記者、新聞の記者の方がはるかにスキルが高い。信頼性の高い記事を書いていると思う。

それが今はぐちゃぐちゃになっている状態で信用を失うみたいな形になっているが、段々わかってくると思う。そのときに、じゃあ九州にこれだけ放送局がいるかいとなったら、おそらくいらなくなると思う。やはり、本気できちんと私が見たいものKBCのこの番組だ、この人が作っているものが見たいというのをたくさん出す局がみんなに支持されて残ると思う。

大衆迎合は無理だと思う。テレビの周りに大衆はいなくなると思う。

それと、お茶の間は崩壊している。なんでテレビなのに映画に出しているか、ネットに出さないのかというと、お茶の間がなくなった世の中で不特定多数の人が知らない人と一緒に映画を観てここでため息をつくんだ、ここで笑うんだとか、外に出てまれにだが一緒にお茶飲んだりする人が出たり、そういうことが気持ちの中でロマンチックだと思っていて、私たちの作ったものを媒介にして人と人とが混じり合うということが起こってほしいと思っている。テレビを蘇らせるために実は映画をやっているので、テレビをもう一回見てもらって、いいものがあるなあと思ってもらいたい。すごくいいものがある。