2015年02月

常岡浩介講演会「最新のシリア情勢」終了後プチ囲み取材

2015年2月15日(日) 福岡学生交流会館
常岡浩介講演会「最新のシリア情勢」終了後プチ囲み取材レポート
新聞記者二名と私の計三名による常岡浩介氏への質疑応答


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イスラム国のオマル司令官は湯川遥菜氏に会ったことはないとのこと。
オマル司令官の上官が日本の捕虜がいるということで連絡があったとのこと。
その人は武器を持ってイスラム国にやって来て、そのためにスパイの容疑をかけられている。
裁判をしなければならないが、アラビア語どころか英語もわからない。
意思の疎通ができないということで通訳の依頼が来た。
10月6日の家宅捜査を受けた直後に、オマル司令官に連絡先は使わないでくれと伝えて
その後、イスラム国と連絡が途切れた。

週刊朝日から後藤健二氏の消息を知らないか問い合わせがあった。
11月5日に後藤健二氏は週刊朝日のインタビューを受けるアポイントがあったのだが、
連絡が取れないと問い合わせがあった。
どうも帰ってきていないということで、知っている人がいないかジャーナリストに問い合わせをしていた。

そのとき、帰国しなかったのはイスラム国に捕まった以外の可能性も排除できなかったので動いて回った。
後藤健二氏の奥さんに会いに行ったところ、インターホン越しにしか対応してもらえなかった。
そのときに、かなり取り乱していたので、かなり深刻な事態とわかった。

11月の異変を知った週刊朝日が朝日新聞本紙にこのことを伝えて、
朝日新聞の外信部が外務省に、社会部が警察に事情を説明した。
あとでわかったが、11月1日頃に奥さんが外務省に相談していたとのこと。

12月中旬に後藤健二氏のガイドに連絡を取ったところ、
後藤健二氏についてお話しできませんと言われ、口止めされていた。
理由を聞くと、後藤健二氏の命の危険があるからと言われた。

10月6日に私戦予備・陰謀の罪で家宅捜査を受けたことで、取材する側から取材される側に変わった。

10月4日5日くらいに、10月7日に出発するとわかって、大慌てで裁判所から礼状を取ったところ、
外事三課の中で私戦予備・陰謀の罪名で本当にいいのかと問題になったとのこと。
外事三課長と検察の公安部長と打ち合わせをし、警察と検察のコンセンサスが取れているようだが
検察もかなり難色を示していたとのこと。
そのとき、湯川遥菜氏について話題にものぼっていなかったとのこと。

11月中旬には、後藤健二氏が行方不明になっているとわかっていたがが、
現地に人員を派遣していない、ネットで調べていただけとのこと。
イスラム国に捕まるということは殺されるということなのだが、
危機感がなく、そもそも殺される認識がなかったのでは。
私戦予備・陰謀の事件に着手してしまったので、そちらを優先させたのでは。

他に、警察の中から自作自演説もよく流される。
アフガニスタンで捕まっていたとき、パキスタンの日本大使館から誘拐事件はそのものありません、
タリバンと常岡浩介氏、中田考氏がつるんで日本政府にお金を要求している、ゆすり事件であると
大まじめに外務省、サウジの日本大使館、グルジアの日本大使館などに情報が流れた。
解放を阻害しようとしていたようにしか見えないが、本気で信じて情報を流していたかも。後述。

その翌年、パキスタンの諜報機関に6日間捕まった。
そのときパキスタンの諜報機関に言われたのが、あなたはパキスタンの法律を一切破っていない、と。
何故捕まえたのかと聞くと、我々は日本との国際関係が重要なので仕方がなくこういうことになった、と。
あなたがパキスタンから違法にアフガニスタンに入ってタリバンを合流してアメリカを攻撃するという
情報が日本から提供された、と。
日本の外務省に問い合わせてもらうと、外務省は完全否定した。
日本大使館の中の公安警察出身と思われる領事からの情報だった。

2004年のイラク日本人人質事件。
イラクで高遠菜穂子氏、今井紀明氏、郡山総一郎氏が人質になった事件。
官邸から自作自演説が出たのだが、その官邸に自作自演説の情報を提供したのが警察の公安部だった。
そのとき公安部は自作自演と本気で信じて、官邸に情報を上げていた。
そのとき、自衛隊の中で警察の自作自演説に疑問の声が上がっていた。
元々、高遠氏は家族ぐるみで自衛隊に近い人物で、子供の頃から自衛隊の結婚式に出席していた。
反自衛隊になるわけがなく、自衛隊撤退を求めるわけがない、と。

国賠訴訟では家宅捜査を受けた結果、邦人二人が殺害されたまで主張するつもりである。
すでに弁護士との話までしていて訴訟を起こすのは確定。
相手は警視庁公安部外事三課と日本国。
11月に被疑事実でないのに被疑者扱いしたことでの名誉毀損を含めるつもり。
仕事が妨害されたという形の損害賠償。
それだけでなく、社会的に大きな損失を引き起こすことになったことも含める。
時期としては今年前半になると思う。

イスラム国は最初は湯川遥菜氏の裁判を行うとしたが、途中で一変した。
それはイスラム国は日本は敵だろうが味方だろうがどうでもいい存在だったから。
日本を敵として利用するか、味方として利用するかしか感覚がない。
最初は温情判決で味方として利用したが、安倍総理の失言で敵として利用するよう変わったように見える。

実は後藤健二氏はイギリスの誘拐保険に入っていた。
誘拐されて身代金を払う会社なのに結局払われていなかった。
外務省が止めたのか。
外務省は国のお金ではなく、個人のお金でも止めるケースがある。
常岡浩介氏がアフガニスタンで捕まったとき、親が解放に向けて動いていた際に
フランスのジャーナリスト団体が身代金を肩代わりしましょうとの提言があった。
それを外務省に話すと、そんなことはしてはいけないと外務省からものすごく怒られたとのこと。
一度払うとまた同じことを繰り返す、と。
ただ、過去にキルギス日本人誘拐事件で三億円を払ったのは誰でも知っていること。

常岡浩介講演会「最新のシリア情勢」

2015年2月15日(日) 福岡学生交流会館
常岡浩介講演会「最新のシリア情勢」レポート


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今までイスラム国の領域に三回入って取材した。
イスラム国は取材が難しい。
去年の六月末に「イスラム国」という名前に変わって以降、
取材して生きて帰ってきたのはドイツの作家と私(常岡浩介氏)の二人しかいない。

9月5日から10日までイスラム国の中にいた。
12日に日本に帰国した。
取材のきっかけは8月26日にイスラム国の司令官からメッセージが届いたこと。
私(常岡浩介氏)と中田考氏に8月17日に拘束された湯川遥菜氏についてのメッセージだった。
9月の時点では脅迫ビデオは公開されていなかった。
公開されていなかったので、中田考氏も含めてまだ希望を持っていた。

メッセージの送り主の司令官は2013年の秋の取材で知り合った人物。
中田考氏にも紹介した。

9月3日に日本を出て、9月5日にイスラム国の領域に入った。
トルコでイスラム国からの連絡員からの電話を持って、五回乗り継いでイスラム国の首都に入った。
トルコ国内ではイスラム国の支援者のサポートがあり、
国境を越えてシリアに入ったらシリアの移民局がサポートした。

シリアの反体制の支配地域はほとんど電気が止まっている。
イスラム国の支配地域は珍しく電気がある。
イスラム国は油田、発電所などを占領しインフラの確保に力を入れているため電気があるのだろう。

首都のラッカはゴミだらけだった。
ゴミの回収が止まっている。
イスラムにはスンニ派、シーア派の二つがある。
イスラム国はシーア派を迫害しており、シーア派の宗教施設は爆破されている。

イスラム国からの連絡では湯川遥菜氏を裁判にかけたい、しかし言葉が通じないので通訳をしてもらいたい、
ちゃんと裁判を行ったことをジャーナリストに見てもらいたいということで、中田考氏とともに向かった。

殺害されたアメリカ人、イギリス人は裁判をかけられた形跡がない。
わざわざ日本から通訳を呼びつけるということはイスラム国側に明確な意図があり、
温情判決をするということで、イスラム国が日本に敵意を持っていないということを
示すのではとそのとき思った。

シーア派は聖者の墓を祀る習慣があるが、イスラム国はそれを偶像崇拝として爆破している。

イスラム国に世界中から義勇兵が集まっており、その義勇兵を乗せたバスに乗車して移動させられた。
首都のラッカに行って、上官と会って正式に取材許可が下りる予定だったが、
イスラム国に行ったその日にアサド政権による大規模の空爆があり、
連絡網が寸断されて、その上官に会うことができなかった。

結局、正式の取材許可は取れなかった。
どさくさにまぎれてカメラを回す形になった。

イスラム国のオマル司令官には2013年の秋にイスラム国に取材中に知り合った。
このオマル司令官から通訳の依頼が来た。

アレッポ近くで捕まった湯川遥菜氏を管理している人物の部下がオマル司令官だった。

9月6日にすぐに湯川遥菜氏の裁判に向かわせる、裁判を担当する上官に会わせるという話だった。
イスラム国に大規模空爆があり、連絡がつかなかった。
結局、三日待たされて来た連絡は一週間待ってくれという内容だった。
中田考氏はそこまで待てないとして、そのときは日本に帰った。
私(常岡浩介氏)は1ヶ月後の10月に時間が作れるから、そのときに裁判に立ち会わせてくれと伝えた。

10月にイスラム国に湯川遥菜氏の裁判のために再び行くようにしていた。
9月には湯川遥菜氏に会うことができなかった。

イスラム国の旗と一緒に写っている写真をtwitterに上げているということで、
イスラム国に入って殺害されない一つの要因になっている。

シリアの中はほとんど携帯電話が通じない。
アサド政権が支配している地域はローカルの携帯電話の会社が運営されており携帯電話が通じる。
反体制派が支配している地域は携帯電話が通じない。

イスラム国は携帯電話、インターネットのプロバイダも禁止している。
イスラム国はよくインターネットを使いこなしているとされているが、あれは外向けに宣伝するため。
支配地域はネットにアクセスする自由がない。

シリアとトルコの国境付近は、トルコの携帯電話の電波が漏れ入ってくる。
国境地帯にわざとアンテナを多く立てて、反体制派にトルコのネットを使わせようとする節がある。

オマル司令官はfacebookを使いこなしていた。
イスラム国とは外となかなか連絡が取れないが、facebookを開けばオンラインにつながることができた。

中田考氏は実はイスラム法学では世界的な権威、アラビア語の能力は日本のトップ。
タリバンの幹部に会ったり、イスラム国に入るなど、自分の足で行動している。
2012年にはタリバンの正式の代表者を日本に連れてきて、
同志社大学で敵対しているカルザイ政権の代表者と協議を実現させるという歴史的なことまで行った。
大きなニュースにはならなかったが、
翌月、東京でアメリカのヒラリークリントン、パキスタンの外務大臣、
アフガニスタンのカルザイ大統領が緊急会談を行い、三国共同声明を出し、
対タリバン和平交渉が進むことにつながった。

イスラム国を味方している国はない。
世界から孤立している。イラク政府、周辺国も敵対している。

湯川遥菜氏はインターネットで日記を付けていた。
その日記の中でイスラム教徒になっていることを表明していた。
イスラム法で、イスラム教徒になった異教徒は異教徒時代の罪は許される原則がある。
湯川遥菜氏は銃を持っていたので敵の一部と疑われたのだが、
イスラム教徒になったことで情状酌量が求められるのではと踏んでいた。
湯川遥菜氏は自殺をするために自分の生殖器を切断していた。
その後は女として第二の人生を始めるとして、「遥菜」に改名までしていた。
イスラムの認識からすると、精神異常だということになる。
イスラム法では精神異常は罪に問われないという原則があり、
裁判の過程で彼は正常ではないので無罪ですと言うつもりだった。
イスラム教徒に改宗、精神異常だから無罪として、彼を弁護するつもりだった。

イスラム国はオマル司令官を通して連絡してきている。
湯川遥菜氏に対しては温情判決するのが垣間見れた。
過去の宣伝ビデオなどからして何らかの意図があり宣伝活動をするはずで、
湯川遥菜氏を返すということで日本とうまくやっていくつもりがあるという意図があったのではと考えた。
宣伝に利用されるだろうが、湯川遥菜氏を返すというのがもっと重要ということでイスラム国に向かった。

イスラム国には十月に行く日程、飛行機の予定まで報告して了解まで得ていた。
10月7日に出発してすぐに裁判が開かれれば湯川遥菜氏は助かると前提でいた。

その矢先、10月6日に私戦予備・陰謀の罪で家宅捜査が行われた。
パソコン、携帯電話、パスポート、航空券を押収され、10月に出発することができなくなった。
10月に行けなかった結果として、今年の1月20日に脅迫ビデオが公開され、湯川遥菜氏が殺害された。

後藤健二氏は日本とシリアを行ったり来たりして取材していた。
10月6日に私戦予備・陰謀の罪で家宅捜査を受けたことで、
常岡浩介氏の湯川遥菜氏救出が失敗したということをニュースを見て知っていた。
そして、湯川遥菜氏を救うために10月22日に日本を出発して25日にシリアの領域に入った。
10月末にイスラム国に捕まった。

イスラム国に外国人が行けば捕まるということはみんな知っていた。
常岡浩介氏、中田考氏が捕まらないのは以下のため。
・二人ともイスラム教徒。
・オマル司令官と人間関係ができていること。
・ツイッターに銃を持った写真を掲載し、イスラム国に出回っていること。

後藤健二氏は今までイスラム国に接触したことがなかった。
アサド政権、シリアの反体制派の取材を精力的にしていたが、イスラム国側の敵側の取材だった。
いきなり行けばイスラム国に捕まるのは目に見えていたのだが、真相は不明。
ガイドにだまされた説もあるが、はっきりしたことは不明。

湯川遥菜氏の拘束の二次被害であり、
常岡浩介氏中田考氏がイスラム国に行けなかった結果であり、
警察が私戦予備・陰謀の罪で妨害した結果でもある。

11月の上旬には後藤健二氏がイスラム国に捕まっていたのはわかっていた。
1月20日に脅迫ビデオが公開された。
今まで脅迫ビデオが公開された後に助かった人質はいなかった。

10年以上前から同じ手口が使われてきた。
湯川遥菜氏がつかまった時点で最悪の事態の予測をしていなければならなかった。

私戦予備・陰謀の罪で家宅捜査を受けて、4ヶ月以上経過したが
未だに常岡浩介氏、中田考氏、北大生も検察に送検すらされていない。
犯罪の疑いのある人は逮捕されて、通常なら二日後には送検され、
約三週間後には起訴され裁判が始まるというのが刑事訴訟法の手続き。
最初の一歩すら行われていない。
私戦予備・陰謀罪は明治時代初期に作られたもので、私的に戦争を起こすことを禁じるもの。
日本政府じゃない勢力が戦争することを防ぐというもの。
北大生がトルコに行く航空券を買うというのを私戦予備・陰謀罪の要件にした。

警視庁公安部外事三課が強行的にやった事件。
公安部長はやめた方がいいと言っていたが、公安部外事三課の課長が強行した。
安倍総理がイスラム国の問題を利用して、集団的自衛権を持てることにしよう、
インテリジェンス機関を設立できるようなことを考えていた。
実は公安部外事三課の課長は安倍総理と個人的な友達の関係。
個人的に安倍総理の意を汲んだ可能性がある。

私戦予備・陰謀罪は架空の犯罪だった。
未だに逮捕もしていない。
実は家宅捜査後、すぐに遠隔操作でスマートフォンの消去までして証拠隠滅までした。
証拠隠滅はそれ自体犯罪となるが、堂々の犯罪を実は行っている。
取材源まで持っていかれると、ジャーナリストの大原則として取材源の秘匿があるのだが、
それを守れず、取材源の保護もできなくなるので、取材拠点を海外に移そうと思うと記者会見までした。
それは逃亡の恐れがあるということで逮捕の要件が揃っているのだが、
4ヶ月経過した今でも逮捕されていない。

11月11日に公安部外事三課から電話がかかってきて、
今までは参考人から容疑者に変わったと直接伝えてきた。
捜査の対象者に参考人、容疑者と伝えるのはあり得ないこと。
容疑者だから出頭して事情聴取に応じろと言ってきたがもちろん拒否した。
日本国憲法違反、刑事訴訟法違反として国賠訴訟を起こすと逆に伝えているが、
家宅捜査から四ヶ月間、何もない。
架空の罪で、常岡浩介氏、中田考氏からイスラム国のデータを取るのが目的だった。

今までイスラム国に捕まって人質になると必ず起こっていることがある。
それは家族に金銭要求があること。
後藤健二氏にはユーロで20億円相当の金銭要求が行われていた。
湯川遥菜氏は実は金銭要求がまったくなかった。
家族の連絡先を言わなかったのだろう。
その代わりに、外部の常岡浩介氏、中田考氏に裁判の立ち会いの依頼がきた。

ビデオを公開される前に水面下でメールなどで交渉して身代金を払った人は助かっている。
トルコの場合は水面下で捕虜交換の交渉を行い、それで助かった人もいる。
水面下の交渉で救うというのがイスラム国の脅迫行為から人質を救う方法。

湯川遥菜氏に関しては裁判に出ていれば助かったかもしれない。
湯川遥菜氏が助かっていれば、後藤健二氏も助かっていた。
それをわざわざ妨害してつぶしたのが警察の家宅捜査だった。
二人を殺したのはイスラム国だが、それを差し出したのは捜査機関だった。

1月17日での安倍総理のカイロでのイスラム国と戦う国に2億円を支払うと言ったのが
イスラム国を怒らせたと言われているが、実は決定的なものではなかった。
脅迫ビデオが出るころにはどんな交渉してもほとんど助からない。
今まで助かったケースがない。

2004年に香田証生氏が殺害されたのだが、香田証生氏はキリスト教徒だった。
香田証生氏の母親が福岡のキリスト教団の信徒で、長崎のキリスト教団経由で
常岡浩介氏の母親に助けてくれないかと連絡が入った。
当時、イラクで取材中で、何もできないまま殺害されてしまった。
今回こそは助けられたのではと思っていたので、非常に悔やんでいる。

今回の殺害事件で、日本に自分の国民を助ける機能がないというのが明らかになった。

今まで行ったロシア、パキスタンなどは表現の自由がまったくなく、
日本はいろいろと問題があるにせよ最低限の民主主義があると思っていたのだが、本当に甘かった。

新潟県の杉本祐一氏の旅券返還命令ということもあった。
イスラム国を非難すべきであって安倍政権を批判するのはテロリストを利すると言う人もいるが、
今回の殺害事件はイスラム国と安倍政権の共犯の形だった。

近く東京地裁に国賠訴訟を起こす予定。
国会でまで国家公安委員長が日本国内でイスラム国と連絡を取っていると
称する者がいることは承知していますと常岡浩介氏、中田考氏を
イスラム国に通じた国内にいるスパイ扱いをした。
国家の敵と名指しされた。

今の日本とアメリカの関係は民主党政権時代より悪い。
安倍は親米のつもりだろうが、アメリカからは危険人物と看做されている。
秘密保護法、集団的自衛権はあった方がいいという考えており、利用価値があると思っているだけ。

オバマ大統領がイスラム国が世界最大の敵と言っているので、
イスラム国が問題となっているが、シリアの取材を2年間行っていて、
地元の人から聞こえるのは問題なのはイスラム国ではない、アサド政権だということ。
イスラム国が殺し続けている民衆の数の30倍をアサド政権は殺し続けている。
2011年3月から続いており、民主化を求めるデモにアサド政権のスナイパーが
撃ち込むようになって全面戦争になる。
しかし、反体制派の中でグダグダになり、一部は腐敗化し、一部は過激化し、
アサド政権と戦うという目的を失う組織が出現。
それがイスラム国。
正式にイスラム国が登場したのは2014年6月末。
ISISを名乗っていた時期は常岡浩介氏以外にも取材できていたジャーナリストがいた。
そもそもアサド政権を倒そうと思っていない、目的はカリフを作ることと平気で言う。
現地の人たちはアサド政権の民衆虐殺が問題なので戦わざるを得ないという考えがほとんどなのだが、
そんなことを平気で言うので民衆から遊離していく。
その後、アメリカが最大の敵だとなる。

イスラム国とアメリカは反体制派の人たちの中では同じような存在と見られている。
アサド政権の虐殺に関心を持たないという点で同じである、と。

ほんの一年前まではオバマ大統領はアサド政権が化学兵器を使ったのが許せない、
空爆すると言っていたが、世界中の専門家が遅くとも一週間後には空爆が始まると言われていた中、
突然、この問題を議会にはかると言い出した。
アメリカの法律上のシステムではそういう問題は議会にはかる必要はない。
大統領自身が決めるべき問題だったのだが、決めなかった。

当時、アサド政権に対する空爆を支持するアメリカの国民は25%しかいなかった。
今ではイスラム国に対する空爆を支持するアメリカの国民は65%くらいになっている。
確かに民意を反映して政策をやるという意味では民主主義的な大統領のように見えるかもしれないが、
アメリカの民意は必ずしもシリアの人たちの幸せとはつながらない。
イスラム国だけを攻撃してもシリアの人たちにとって何の幸せにもならない。
アメリカがイスラム国を空爆すると、アサド政権がイスラム国ではないところを集中的に空爆するという
戦略の振り分けができるためにより効果的に一般市民を攻撃できるようになった。

実際、完全にアメリカの攻撃がアサド政権を助けている。
今まで親米と言われていた自由シリア軍がfacebookでアメリカを批判するようになっている。
親米が反米化している。

似たような現象がアフガニスタン、ソマリアでも起こっている。
アフガニスタンではソ連と戦っている間、アメリカが支援していたのだが、
アフガニスタンの大半のグループは親米となったのだが、ソ連撤退後はアメリカが放置。
放置した結果、やがてアルカイダの支援が中心となり、アルカイダと結びついたタリバンが中心となる。
穏健なグループが社会の建設に失敗すると過激な勢力に取って代わって手がつけられなくなる。
エスカレーションがアフガニスタン、ソマリア、ナイジェリアでも起こっている。
今はシリア。
アメリカはイスラム国が世界最大の問題と言っているが、アサド政権の問題を残したまま
イスラム国を破壊した場合、イスラム国に取って代わる存在はおそらくイスラム国以上に
ひどい勢力になってしまうだろう。
破綻国家のより過激な勢力へのエスカレーション化。

シリアの問題は全体を考えなければならない。
イスラム国だけを見続けるのはイスラム国のプロパガンダに乗せられることになる。
イスラム国がやっているテロでイスラム国こそが諸悪の根源だとして、
もっと背後にあるシリア内戦全体の問題を見ないようになってはいけない。

実はイスラム国の宣伝はアメリカや日本に対する宣伝ではない。
全世界のイスラム教徒に向けて宣伝している。
極一部だが、イスラム国の残虐行為に賛成してしまう人たちがいる。
首を切っている姿を見て、異教徒相手に聖なる戦いをしていると受け止めてしまう。

異教徒がイスラム国に敵対的な態度を取れば取るほど、イスラム教徒の過激な人たちは
これこそ聖なる戦いである、ジハードであると受け止めやすくなる。

イスラム世界と非イスラム世界の対立が深まれば深まるほど得する人たちが一部いる。
2年以上イスラム国を取材していてわかったのが、実はイスラム国はイスラムの国ではない。
イスラム国の中枢はそもそもイスラム主義者ではなく、サダムフセインの残党。

サダムフセイン政権はアルカイダなどのイスラム勢力を徹底的に弾圧していた。
イラクがイスラム化するのを防ごうとした。
今のイスラム国の正反対の考えだった。
表面的に見えるイスラム、イスラムだがすべて隠れ蓑で、中身はサダムフセイン。

インターネット、携帯電話を禁止して、自分の国民に裏切られることを警戒している。
密告を奨励し、スパイの摘発に躍起になっている。

異教徒と戦うのはジハードとしている。
後藤健二氏、湯川遥菜氏と二人殺されて日本を敵だとしているが、日本と戦うつもりはない。
あくまで異教徒と戦っているフリをするための宣伝。

自分の支配領域にいるクルド人、キリスト教徒、シーア派といった
イスラムのコミュニティの中の構成員を徹底的に攻撃するため。
自分の内側にいる自分に従わない、反抗する人たちを徹底的に粛正する。
見つけては処刑する。
完全にサダムフセインの時代にやっていたこと。
イスラム圏内では普通やらないことで、口で言っていることとやっていることと遊離している。

イスラム国とクルド人との戦いで、クルド人側は若い女性、おばあちゃんまで駆り出されているが、
戦場で見る死体はほとんどイスラム国側とのこと。
イスラム国は女性、おばあちゃんの軍隊に負けている状態。
イラク側にはイスラム国が強いという話が伝わっているが、イスラム国側が捕虜を残酷な殺し方をするので、
イラクの兵士は戦う前に戦意を失って戦わずに逃げるのが現状。

本当に戦うと負けるのがイスラム国の実態で、完全に宣伝でできていて中身が空っぽなのが実態。
士気の高い敵と戦うと完全に負けてしまう。

そういうイスラム国とどう接するべきかは、こけおどしに乗らないこと。
何も罪のない邦人二人を殺したのはこけおどしの一つ。
そもそも日本を重要な国、重要な敵、味方ととも思っていない。
単に宣伝の材料の一つに使っただけだった。

あくまで、こちらが冷静になればなるほどイスラム国にとって不利になる。
シリアの問題を根本から解決しようとする姿勢がイスラム国に最大の圧力になる。

1991年に湾岸戦争、2003年にイラク戦争でサダムフセイン体制を崩壊させた。
もっと前の80年代、90年代にクルド人を18万人、シーア派を20万人を殺害した。
そのとき、アメリカはサダムフセインを支援した。
サダムフセインが自国民に手をかける前に2003年に体制を崩壊させた。
2003年ではなく、自国民に手をかけるときに崩壊させるべきだった。
サダムフセインはイスラム教徒の中で最もイスラム教徒を殺したイスラム教徒。

イラクの民衆がサダムフセインの排除を願ったときに崩壊させるべきだった。
サダムフセインを排除しただけでなく、シーア派に偏重した政府をアメリカがバックアップして作ったことで
スンニ派の不満を貯めてしまい、イスラム国を作る遠因になった。
また、隣りのシリアではアサド政権にちゃんと対応しなかっために、反体制派の自由シリア軍が力を失い、
アルカイダに流れて、イスラム国に力を付けさせることになった。
アメリカの関与の仕方がまずかった。
ただ他の国ができるのかと言えば、アメリカ以外はできない。

シリアの内戦には大きくチェチェン人の武装勢力が三つ関与している。

■ウマル・シシャニ
 ->イスラム国の北部方面の総司令官。元々はサラフッディン・シシャニだった。
  イスラム国内の最強の精鋭部隊とのこと。
■サラフッディン・シシャニ
 ->直接、チェチェンとつながっている。
  チェチェンの中に反政府武装勢力がいてカフカス首長国のシリア支部。
■ムスリム・シシャニ
 ->カフカス首長国から分裂して、カフカス首長国と無関係の独立部隊。
 ->常岡浩介氏が取材を通して知り合った。
 ->トルコの諜報機関と強いつながりを持っている。

※シシャニはアラビア語でチェチェン人という意味。

チェチェンはロシアに完全占領され傀儡政権に支配されている。
ほとんどのチェチェン人はそれに不満。
なんとかロシアを打倒したいと思っているが、
ロシア、チェチェン本土では完全に押さえられていて何もできない。
シリアの内戦には実はロシアが大きく関与している。
ロシアにとってシリアが重要で、アサド政権が倒れるとプーチンが追いつめられる。
世界中に一旦バラバラになったチェチェン人がシリアに再集結しており、
三つに分かれてそれぞれ戦っている。
目的はシリアそのものではなく、ロシア、チェチェンを取り戻すこと。

イスラム国はアサド政権を打倒することはどうでもよく、カリフの首を作るのが目的。
しかし、ウマル・シシャニはロシアに戻ると言い、イスラム国の方針に反する。

チェチェン人は通常はロシア国籍なのだが。三人ともグルジア国籍。
シリアで活躍しているチェチェン人でグルジアの出身が多いのは、
グルジアの諜報機関が関与しているとしか考えられない。
グルジアは歴史的に反ロシア。
2008年には戦争までしている。

ロシア、イランがアサド政権を支援している中で、
ロシアと対立しているグルジアが上記の形でシリアの内戦に関与。
アサド政権と対立しているトルコも支援している。
つまり、水面下のインテリジェンス戦争、諜報機関戦争の側面が強くなっている。

諜報機関が暗躍する中、チェチェン人は国籍がグルジア、ロシアだったりするが、
武装勢力として戦ったあげくボロボロにされてチリチリバラバラになっている。
チェチェン人は戦闘の現場で異常に強いというのは知られている。
逆に言えば、チェチェン人の部隊と一緒にいれば攻撃されない現状がある。

ムスリム・シシャニのチェチェン人の司令官からイスラム国のオマル司令官を紹介された。
イスラム国は常岡浩介氏の首を切れない。
常岡浩介氏の首を切ることはムスリム・シシャニから攻撃されることになる。
チェチェン人から攻撃されればひとたまりもない。

ウクライナでも、ウクライナ側にも三つチェチェン人の部隊があり、
ロシア側に二つチェチェン人の部隊がある。
諜報機関からすればチェチェン人は使いやすい、戦闘現場でも異常に強い。
しかも、チェチェン人はロシア相手なら士気が高くなる。

シリアはアラブだが、アラブとチェチェンは合わない。
あまりにも文化が違うため。
チェチェン人の気質は、チェチェン人同士で通じる掟がある。
イスラム法だけでなく、チェチェンの部族の掟に従う。
アラブは正反対で、戦争は多いが本当は戦争を大嫌いで商売をしたくて仕方がない。
いつの間にか敵相手と商売したりする。

シリアにチェチェン人を多く投入しても、いずれは帰って行く。
それは逆に言えば使いやすいということ。
権力を求めない、地元で利益を求めないということ。

シリアがイスラム教徒にどのような場所かというと、まともな場所ではない。
世界で最もイスラム教徒同士で殺し合っている場所。

イスラム国は自分たちをより悪く宣伝する。
イラク軍の兵士を1800人処刑したと発表したことがあるが、実際は百数十人を処刑していた。
実際の10倍に拡大して発表していた。
これも意図的なバイアスだが、イスラム国の反対勢力ついてのバイアスも気をつけなければならない。
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