2016年1月23日(土) KBCシネマ(福岡県福岡市)
映画「牡蠣工場」 舞台挨拶、トークイベント
出演:想田和弘監督
今日、「牡蠣工場」はKBCシネマで日本で初めて一般公開された。
この映画を観た方、予告編を観た方の中に、
中国人実習生の問題、東日本大震災の傷跡とかテーマが先にあって、
そのテーマを描くために牡蠣工場を探し当ててそこに辿り着いたと見られてしまうが実は違う。
まったくの偶然で、カメラを持って牛窓に行ったときは牡蠣工場を撮る予定ですらなかった。
では、何故、牡蠣工場にカメラが向くことになったかというと妻の母親の故郷が牛窓だった。
よく牛窓には遊びに行っており、ここ数年は妻の母親の同級生のお家の離れが空いているので
そこを使わせてもらって夏休みを過ごしたりしていた。
浜辺とかで妻が太極拳をしていて目立ったせいか、漁師さんたちに話しかけられ、
そうしているうちに漁師さんと仲良くなった。
その漁師さんたちは70代、80代だった。
後継者もおらず、魚も減っているという。
もしかしたら、牛窓という街から漁師さんがいる風景が、
僕らが当たり前と思った風景が消えてしまうのではという気がした。
もし、そうだとしたら全国的に言えることではないか、
牛窓でそうだとしたら日本全国で起きているのではという気がした。
日本は海洋民族で、海に囲まれていて、水産物と漁業に関係の深い
国民性だと思うが、その漁業をする人たちが沿岸から消えてしまう、
その前に記録しよう、あとよく見せてもらいたいということで
漁師さんにカメラを持ってお邪魔したいとお話しした。
それが夏で、実際にカメラを持って行ったのは11月。
その漁師さんはタコ漁をしていたのだが、実際に行ってみたら、
今はタコではない、牡蠣の漁だ、と。
そのときは知らなかったのだが、牡蠣工場を持っていて、
牡蠣を剥く作業が11月から始まり、今がちょうど忙しく、
牡蠣工場でよければどうぞということで撮り始めた。
ここに中国人の方がやってくるとか、漁師の方が宮城出身だとか
まったく知らず、カメラを回して追ってみたらこうだった。
カレンダーに「中国来る」と書かれていたのが大きい。
自ら観察映画と言っているように、そこにあるものをよく見るようにしている。
カレンダーを見ると、11/9(土)に「中国来る」とメモ書きされていた。
これは一体何だろうと思って、会話に聞き耳を立てていると、
二人の中国人労働者がやってくるのが11/9(土)ということだった。
みんな、不安と期待が入り混じってピリピリしていた。
どんな人が来るのだろう、どういう風に打ち解けよう、と。
ここでまた中国に出会うとは思わなかった。
その直前に中国に映画祭で行ったりしていた。
グローバリズム、国際化というキーワードで語られるような現象がそこに起きていた。
牛窓はかつて非常に栄えた町だが、今ではどんどん人口が流出して過疎化が深刻。
労働者がいなくなっていて、働く剥き子さんがいなくなったので中国人を呼んでいる。
過疎化していく古い古い町というのと、グローバリズム、国際化というキーワードが
僕の中でまったくつながらないのだが、
実はよく考えると、過疎化が進んでいるこういう町だからこそ、
グローバリズムといった現象の最前線があると気が付いた。
広島で牡蠣工場で殺人事件が起きており、その事件が記憶に新しい時期で
中国人労働者が来るときに途中で撮らないでくれと背中を向けて言われ、
抗議されたときは本当に焦った。
そのときは広島の事件はまったく知らなかった。
僕は観察映画の十戒をもっている。
・被写体に関するリサーチを行わない。
・被写体と撮影内容に関する打ち合わせは原則行わない。
・台本は書かない。作品のテーマや落としどころは撮影前や最中に設定しない。
行き当たりばったりで撮影し、予定調和を求めない。
・カメラは一人で回し、録音も一人で行う。
・必要ないかもと思っても、カメラは長時間あらゆる場面で回す。
・広く浅くではなく、狭く深くを心がける。
・編集作業でもあらかじめテーマを設定しない。
・ナレーション、説明テロップ、音楽を原則使わない。
・観客が十分に映像や音を観察できるよう、カットは長めに編集し余白を残す。
その場に居合わせているかのよう臨場感や時間の流れを大切にする。
・製作費は基本的に自社で出す。
金を出したら、口を出したくなるのが人情。
ひも付きの投資は一切受けない。
作品の内容に干渉を受けない助成金を受けるのはあり。
今回も牡蠣工場を何も知らない状態でカメラを回している。
何故そうするかというと、先にリサーチして知識を仕入れてしまうと
それが自分のバイアスとなって知っていることばかり撮ろうとしてしまうため。
映画を撮る前はNHKのドキュメンタリーを撮るテレビディレクターをしており、
40本から50本ほどテレビ番組を撮った。
まさにそのときはリサーチをするのが当然ということで、
被写体と打ち合わせを重ねて、何が撮れて何が撮れないと全部把握して台本を書く。
ひどいディレクターになると、起承転結が最初から最後まですべて決まっていて、
エンディングまで決まっており、誰々が何を言うと取材対象者のセリフまで書き込まれている。
ナレーションも書いているので、その台本を持って取材に行く。
その台本はプロデューサーと一緒に詰めており、
プロデューサーがそれにGOサインが出ないと撮影に行けない。
しかも、プロデューサーは一人でなく、その上に何人もヒエラルキーがあり、
そこを全員通している。
だから、台本を逸脱することはすごい大変。
ドキュメンタリーは台本通りに展開するわけがない。
行ってみたら、必ず違う現実が展開している。
展開している現実の方が面白い。
そこで面白い現実を撮って帰ると、そうするとプロデューサーからものすごく怒られる。
何故台本通りに撮らないのか、オレはこんな番組を承認した覚えはない、と。
プロデューサーの立場からすればそうかもしれないが、
ドキュメンタリーだから違うものが撮れて当たり前。
それが通らないということで理不尽さを感じて、リサーチや台本はいらないとずっと感じていた。
これはNHKだけでなく、他局もそう。
日本だけでなく、他の外国もそう。
ドキュメンタリーは映像による日記という位置付け。
牡蠣工場は一週間だけ撮影した。
一度撮影を断られたシーンが出てきたが、あの翌日にもこの辺で止めてほしいと言われた。
新しいことを始めたというときで、不安がある上に
僕らがいるということは不確定要素が二つになったため。
撮れるものは大体撮れたので、牡蠣工場の撮影は一週間で終えた。
一週間とはいえ、毎日朝から晩まで牡蠣工場に入り浸るというのは普通できないこと。
アウトサイダーながら、その中でいろいろな人に会い、
いろいろな場面を目撃し、いろいろな話を聞いた。
その体験を映画的リアリティーに構築し、それを観客と共有するのが
僕がドキュメンタリーを撮る目的の一番大きなもの。
自分は牡蠣工場の世界はこんな風に見えたということを
観客と共有して疑似体験、追体験してもらいたい。
実は牛窓には三週間撮る予定で行った。
一週間で断られたので、あとの二週間はぷらぷらしようと
カメラを持ってうろうろしていたら、86歳の漁師の方と出会った。
70年間漁をしている方で、小さい船を持っていて今でも漁をしている。
ずっと漁をしていたせいかヨボヨボ歩いていて、
本当に漁に行って大丈夫かと心配になったくらいだったが、
実際に一緒に漁に行くとシャキッとなって物凄かった。
残りの二週間はその漁師の方、村にいるお婆さん、魚屋さんも撮った。
それも含めて一本の映画にしようとしたが、
牡蠣工場だけで一本に立たせたら面白いと、別々の二本にした。
もう一本は編集中。
僕の映画は情報を伝えるジャーナリズムとは違う。
映画というのはスリルとサスペンスという縦糸みたいな次を見たいと思わせる部分があり、
一種のドラマとして構築していくという意識はある。
メッセージはない。伝えたいことは僕の体験で、文字で書けるようなことではない。
だから、映画を作っている。
普段はいろいろ言語化し、文字にしていることをやっているから
それを探す方も結構いるかと思うが、映画ではメッセージのことはまったく考えていない。
描写をして自分の体験を共有して、
あたかも牡蠣工場の世界に放り込まれた体験をしてもらったときに
その体験から何を思うかは一人一人違う。百人いれば百人違うはず。
一番つまらないのはすべてメッセージに従属している映画。
311の東日本大震災、原発事故が起きる前までは政治的発言は控えるようにしていた。
政治的発言をしていると「選挙」という映画は色眼鏡で見られる。
例えば、自民党を陥れるために作ったんじゃないか、と。
あと、考え方が真逆の人が映画を観てくれないのでは、と。
政治的発言はしないようにして避けていた。
東日本大震災が起きて、原発の事故の様子をニューヨークで見ていた。
もしかすると帰ることがなくなるのではと思った。
東日本にもしかしたら住めなくなるという最悪のシナリオもあって、
東京放棄もあり得る状況だった。
幸いにしてそうならなかったが、そうなる可能性はあった。
そのときに自分の映画がどう見られるかどうでもよくなって、
感情的にいろいろとツイートし始めた。
その結果、雑誌とかに寄稿の依頼があり、いろいろと記事を書いたが、
映画を撮っていることも知らない人も出てきたぐらい。
海外で公開する際、瀬戸内海の片隅にある小さな牡蠣工場という半径1kmくらいの世界を撮って、
日本を全然知らない海外の人たちが見たときにわかるかなあ、伝わるかなあと思った。
あまりにもローカル過ぎる世界。
映画をあまり観ないアメリカ人の友達に見せたら、2時間半ずっと飽きずに観ていた。
それを見て、全然大丈夫と思った。
中国人が5日で辞めたという話が出てくるが、
ニューヨークでも同じようなことが毎日起きている。
レストランに入れば、そこで働いているのはメキシコ人、中南米の人。
外国人の労働者がいなければ、成立しない生活になっている。
スイス、フランス、モンテロールとかに行ってもそう。
みんな自分たちの問題として見る。
こんな小さなところにカメラを向けているのだが、
そこにもっと大きな世界の話があり、もっと普遍的なものが
世界のエッセンスというのが見える。
考えてみたら、当然。
牛窓も他の世界から隔絶されているわけではなく、世界の一部分。
必ず世界の力学の影響を受ける。
僕の理論は「世界は細部に宿る」。
何故かというと細部は世界の一部分なので世界の影響を受ける。
世界の構造の縮図が大体、細部に宿る。
狭く深くを心がけると言ったが、
小さい領域を深く見ていけば必ずそこにもっと大きな世界の構造、エッセンスが
映り込むはずだという確信はある。
映画「牡蠣工場」 舞台挨拶、トークイベント
出演:想田和弘監督
今日、「牡蠣工場」はKBCシネマで日本で初めて一般公開された。
この映画を観た方、予告編を観た方の中に、
中国人実習生の問題、東日本大震災の傷跡とかテーマが先にあって、
そのテーマを描くために牡蠣工場を探し当ててそこに辿り着いたと見られてしまうが実は違う。
まったくの偶然で、カメラを持って牛窓に行ったときは牡蠣工場を撮る予定ですらなかった。
では、何故、牡蠣工場にカメラが向くことになったかというと妻の母親の故郷が牛窓だった。
よく牛窓には遊びに行っており、ここ数年は妻の母親の同級生のお家の離れが空いているので
そこを使わせてもらって夏休みを過ごしたりしていた。
浜辺とかで妻が太極拳をしていて目立ったせいか、漁師さんたちに話しかけられ、
そうしているうちに漁師さんと仲良くなった。
その漁師さんたちは70代、80代だった。
後継者もおらず、魚も減っているという。
もしかしたら、牛窓という街から漁師さんがいる風景が、
僕らが当たり前と思った風景が消えてしまうのではという気がした。
もし、そうだとしたら全国的に言えることではないか、
牛窓でそうだとしたら日本全国で起きているのではという気がした。
日本は海洋民族で、海に囲まれていて、水産物と漁業に関係の深い
国民性だと思うが、その漁業をする人たちが沿岸から消えてしまう、
その前に記録しよう、あとよく見せてもらいたいということで
漁師さんにカメラを持ってお邪魔したいとお話しした。
それが夏で、実際にカメラを持って行ったのは11月。
その漁師さんはタコ漁をしていたのだが、実際に行ってみたら、
今はタコではない、牡蠣の漁だ、と。
そのときは知らなかったのだが、牡蠣工場を持っていて、
牡蠣を剥く作業が11月から始まり、今がちょうど忙しく、
牡蠣工場でよければどうぞということで撮り始めた。
ここに中国人の方がやってくるとか、漁師の方が宮城出身だとか
まったく知らず、カメラを回して追ってみたらこうだった。
カレンダーに「中国来る」と書かれていたのが大きい。
自ら観察映画と言っているように、そこにあるものをよく見るようにしている。
カレンダーを見ると、11/9(土)に「中国来る」とメモ書きされていた。
これは一体何だろうと思って、会話に聞き耳を立てていると、
二人の中国人労働者がやってくるのが11/9(土)ということだった。
みんな、不安と期待が入り混じってピリピリしていた。
どんな人が来るのだろう、どういう風に打ち解けよう、と。
ここでまた中国に出会うとは思わなかった。
その直前に中国に映画祭で行ったりしていた。
グローバリズム、国際化というキーワードで語られるような現象がそこに起きていた。
牛窓はかつて非常に栄えた町だが、今ではどんどん人口が流出して過疎化が深刻。
労働者がいなくなっていて、働く剥き子さんがいなくなったので中国人を呼んでいる。
過疎化していく古い古い町というのと、グローバリズム、国際化というキーワードが
僕の中でまったくつながらないのだが、
実はよく考えると、過疎化が進んでいるこういう町だからこそ、
グローバリズムといった現象の最前線があると気が付いた。
広島で牡蠣工場で殺人事件が起きており、その事件が記憶に新しい時期で
中国人労働者が来るときに途中で撮らないでくれと背中を向けて言われ、
抗議されたときは本当に焦った。
そのときは広島の事件はまったく知らなかった。
僕は観察映画の十戒をもっている。
・被写体に関するリサーチを行わない。
・被写体と撮影内容に関する打ち合わせは原則行わない。
・台本は書かない。作品のテーマや落としどころは撮影前や最中に設定しない。
行き当たりばったりで撮影し、予定調和を求めない。
・カメラは一人で回し、録音も一人で行う。
・必要ないかもと思っても、カメラは長時間あらゆる場面で回す。
・広く浅くではなく、狭く深くを心がける。
・編集作業でもあらかじめテーマを設定しない。
・ナレーション、説明テロップ、音楽を原則使わない。
・観客が十分に映像や音を観察できるよう、カットは長めに編集し余白を残す。
その場に居合わせているかのよう臨場感や時間の流れを大切にする。
・製作費は基本的に自社で出す。
金を出したら、口を出したくなるのが人情。
ひも付きの投資は一切受けない。
作品の内容に干渉を受けない助成金を受けるのはあり。
今回も牡蠣工場を何も知らない状態でカメラを回している。
何故そうするかというと、先にリサーチして知識を仕入れてしまうと
それが自分のバイアスとなって知っていることばかり撮ろうとしてしまうため。
映画を撮る前はNHKのドキュメンタリーを撮るテレビディレクターをしており、
40本から50本ほどテレビ番組を撮った。
まさにそのときはリサーチをするのが当然ということで、
被写体と打ち合わせを重ねて、何が撮れて何が撮れないと全部把握して台本を書く。
ひどいディレクターになると、起承転結が最初から最後まですべて決まっていて、
エンディングまで決まっており、誰々が何を言うと取材対象者のセリフまで書き込まれている。
ナレーションも書いているので、その台本を持って取材に行く。
その台本はプロデューサーと一緒に詰めており、
プロデューサーがそれにGOサインが出ないと撮影に行けない。
しかも、プロデューサーは一人でなく、その上に何人もヒエラルキーがあり、
そこを全員通している。
だから、台本を逸脱することはすごい大変。
ドキュメンタリーは台本通りに展開するわけがない。
行ってみたら、必ず違う現実が展開している。
展開している現実の方が面白い。
そこで面白い現実を撮って帰ると、そうするとプロデューサーからものすごく怒られる。
何故台本通りに撮らないのか、オレはこんな番組を承認した覚えはない、と。
プロデューサーの立場からすればそうかもしれないが、
ドキュメンタリーだから違うものが撮れて当たり前。
それが通らないということで理不尽さを感じて、リサーチや台本はいらないとずっと感じていた。
これはNHKだけでなく、他局もそう。
日本だけでなく、他の外国もそう。
ドキュメンタリーは映像による日記という位置付け。
牡蠣工場は一週間だけ撮影した。
一度撮影を断られたシーンが出てきたが、あの翌日にもこの辺で止めてほしいと言われた。
新しいことを始めたというときで、不安がある上に
僕らがいるということは不確定要素が二つになったため。
撮れるものは大体撮れたので、牡蠣工場の撮影は一週間で終えた。
一週間とはいえ、毎日朝から晩まで牡蠣工場に入り浸るというのは普通できないこと。
アウトサイダーながら、その中でいろいろな人に会い、
いろいろな場面を目撃し、いろいろな話を聞いた。
その体験を映画的リアリティーに構築し、それを観客と共有するのが
僕がドキュメンタリーを撮る目的の一番大きなもの。
自分は牡蠣工場の世界はこんな風に見えたということを
観客と共有して疑似体験、追体験してもらいたい。
実は牛窓には三週間撮る予定で行った。
一週間で断られたので、あとの二週間はぷらぷらしようと
カメラを持ってうろうろしていたら、86歳の漁師の方と出会った。
70年間漁をしている方で、小さい船を持っていて今でも漁をしている。
ずっと漁をしていたせいかヨボヨボ歩いていて、
本当に漁に行って大丈夫かと心配になったくらいだったが、
実際に一緒に漁に行くとシャキッとなって物凄かった。
残りの二週間はその漁師の方、村にいるお婆さん、魚屋さんも撮った。
それも含めて一本の映画にしようとしたが、
牡蠣工場だけで一本に立たせたら面白いと、別々の二本にした。
もう一本は編集中。
僕の映画は情報を伝えるジャーナリズムとは違う。
映画というのはスリルとサスペンスという縦糸みたいな次を見たいと思わせる部分があり、
一種のドラマとして構築していくという意識はある。
メッセージはない。伝えたいことは僕の体験で、文字で書けるようなことではない。
だから、映画を作っている。
普段はいろいろ言語化し、文字にしていることをやっているから
それを探す方も結構いるかと思うが、映画ではメッセージのことはまったく考えていない。
描写をして自分の体験を共有して、
あたかも牡蠣工場の世界に放り込まれた体験をしてもらったときに
その体験から何を思うかは一人一人違う。百人いれば百人違うはず。
一番つまらないのはすべてメッセージに従属している映画。
311の東日本大震災、原発事故が起きる前までは政治的発言は控えるようにしていた。
政治的発言をしていると「選挙」という映画は色眼鏡で見られる。
例えば、自民党を陥れるために作ったんじゃないか、と。
あと、考え方が真逆の人が映画を観てくれないのでは、と。
政治的発言はしないようにして避けていた。
東日本大震災が起きて、原発の事故の様子をニューヨークで見ていた。
もしかすると帰ることがなくなるのではと思った。
東日本にもしかしたら住めなくなるという最悪のシナリオもあって、
東京放棄もあり得る状況だった。
幸いにしてそうならなかったが、そうなる可能性はあった。
そのときに自分の映画がどう見られるかどうでもよくなって、
感情的にいろいろとツイートし始めた。
その結果、雑誌とかに寄稿の依頼があり、いろいろと記事を書いたが、
映画を撮っていることも知らない人も出てきたぐらい。
海外で公開する際、瀬戸内海の片隅にある小さな牡蠣工場という半径1kmくらいの世界を撮って、
日本を全然知らない海外の人たちが見たときにわかるかなあ、伝わるかなあと思った。
あまりにもローカル過ぎる世界。
映画をあまり観ないアメリカ人の友達に見せたら、2時間半ずっと飽きずに観ていた。
それを見て、全然大丈夫と思った。
中国人が5日で辞めたという話が出てくるが、
ニューヨークでも同じようなことが毎日起きている。
レストランに入れば、そこで働いているのはメキシコ人、中南米の人。
外国人の労働者がいなければ、成立しない生活になっている。
スイス、フランス、モンテロールとかに行ってもそう。
みんな自分たちの問題として見る。
こんな小さなところにカメラを向けているのだが、
そこにもっと大きな世界の話があり、もっと普遍的なものが
世界のエッセンスというのが見える。
考えてみたら、当然。
牛窓も他の世界から隔絶されているわけではなく、世界の一部分。
必ず世界の力学の影響を受ける。
僕の理論は「世界は細部に宿る」。
何故かというと細部は世界の一部分なので世界の影響を受ける。
世界の構造の縮図が大体、細部に宿る。
狭く深くを心がけると言ったが、
小さい領域を深く見ていけば必ずそこにもっと大きな世界の構造、エッセンスが
映り込むはずだという確信はある。