2020年07月07日(火) 月イチ宮台

2020年07月07日(火)
JAM The World 月イチ宮台
青木理、宮台真司

20190331_001s


今月も非常に重要な話が出たので、以下、レポートを引用する。東京都知事選はどう見るべきだったのか。ネット上では投票への呼びかけが多く行われたが、実際は低投票率だったこと。ネット上の動きと結果に乖離があったこと。日本が三流国に沈みつつある今、現在置かれている状況をここまで読み取らなければならない。


■青木
宮台さんに対する質問のメールがいっぱい来ている。ホットなニュースということで都知事選のことで宮台さんの見解を聞きたいというメールが結構来ている。

「宮台さんの月イチ宮台を先月から心待ちにしていた。宮台先生に質問だが、都知事選で小池さんが当選した。小池都知事は公約の中で東京版CDCの創設や東京五輪2021の開幕式を短縮するなど掲げているが、この二点含めて、どれほど実行できるか疑問です。ご意見を聞きたい。」

「都知事選が終わり、小池さんが再選されたが、宮台先生から見た小池都知事も東京都の女帝になるのか。」

「何故、低投票率なったのか分析していただきたい。コロナで困った方が多いはずが、どうしてこんなに棄権が多く、いわゆる人権派とされる候補者が票が伸びなかったのか。」

いろんな質問もあったが、この質問も含めて都知事選はどう捉えているか


■宮台
いろいろなところでしゃべった通りだが、都知事選にはあまり興味なかった。

もちろん、投票には妻と一緒に行った。今回、妻と僕で入れる先が分かれた。いつも投票した後にどこに入れたか話すと大体一致しているが、今回は分かれた。片方が山本太郎、もう片方は宇都宮健児。

野党候補が真っ二つに分かれることは事前にわかっていた。小池知事が元々、女性人気が非常に高いこともわかっていた。さらに、「女帝」を含めて事前の本の人気、あるいは、インターネットでの小池さんに対するアンチの風がツイッター界隈など中心に非常に高かったということも事実だが、僕たちはそういう風景は何度も目にしていて、インターネット界隈はやはりボリューム、人口全体でいうと非常に小さいもの。

したがって、インターネットを見ない人もいっぱいいるし、今、テレビさえ見ない人もいっぱいいる。そういう中で元々、どういう風が吹いているのか。あるいは各候補者がどういう佇まいで、どういう政策を主張しているのか、関心を持ちようがない。そういう人が大勢いることがそもそもわかっている。

それともう一つ、非常に本質的なことだが、日本の政治文化はいわゆる安倍政権的なものに象徴されることだが、例えば若い人であればあるほど安倍政権の支持率が上がる。これは皆さん、どれくらい意識しているかわからないが、非常に単純に言うと「現状維持派」が多い。

例えば、安倍政権についてが一番わかりやすいが、安倍政権の下で非正規化が進んだので、逆に非正規雇用の雇用状況が良くなったし、安倍政権の下で最低賃金も上がった。それをベースにして、現状維持されているじゃん、現状は少し良くなっているじゃんと思うわけ。しかし、この人たちはインターネットなどにアクセスしないので、例えばヨーロッパに比べて最低賃金が2/3から半分であることとか、去年、個人別一人当たりGDPが韓国、イタリアに抜かれたこととか、アメリカの生産性に比べると日本人労働者の生産性は2/3あるいはそれ以下であること、次世代5G規格特許の数をいうと、中国は日本の7倍、アメリカ5倍、韓国でさえ3倍という状況であること。

知らないわけ。正確に言うと知らないのではなくて、基本的に安倍さん、首都・東京についていうと小池さんについて、現状維持派の人は安倍さんや小池さんにとって不利な情報を見たくない。これを社会心理学では認知的整合化と言う。都合のいいものだけを見て、都合の悪いものは見ないという所謂いいとこ取り、チェリーピッキング構造なことを言うが、こういう有権者が非常に多いというのは過去の何回の選挙でわかっている。

それは山本太郎さんが頑張ったとかでは変わらない。もちろん、政策的には宇都宮健児さんが東京都のことを一番よくわかっていると思ったし、山本太郎氏について言うと、参戦が遅れたのは意図的だと思っている。つまり、彼は国政に焦点があるので、間違って都知事になりたくなかったんだと思う。途中参戦して例えば宇都宮健児氏よりも票が上に行けば、国政でのヘゲモニー、影響力という点で有利に立てると踏んだと思う。

合理的な思考なので良し悪しは別として僕は理解できる。それで票が割れる。票が割れて、都知事にならないことが目的である可能性さえあった。全体の配置がわかっている以上、積極的な関心は持ちにくい。


■青木
これまで宮台さんと話してきたことだが、改めて興味があるので伺いたい。宮台さんが大学で若い学生たちに講義をずっとしていて、若い人たちの方が現状肯定というか、変化を避けるというような傾向が強いというのはもちろん見たいものだけ見て、見たくないものは見ないという傾向があるにせよ、そこそここれがハッピーがどうかは別として暮らせているので、とりあえずこれで変わらなくていいよ、と。

つまり、常々、宮台さんが仰る加速主義というか、いずれ破局的なところまで、破局的なところに近づかないとやっぱり変わっていかない、変わろうとするモチベーションというのは若い人たちだけじゃないと思うが湧いてこない、ある種の絶望感になってしまうのか。


■宮台
実はそんなに絶望していない。

理由が二つある。一つは歴史的に見て、そういう有権者の動きは既知のものだということ。もう一つは国があるいは東京都がマクロに変わらない前提になったとしても、生き方はどのみちいろいろ選べるということになる。

最初の方から言うと、ローザ・ルクセンブルグという有名な人がいて、スパルタクス・ブントを作ったので日本のブント・共産主義者同盟の元、雛形になったようなもの。あるいは、ルカーチ・ジェルジュ、アントニオ・グラムシとか皆、欧州マルクス主義者といって似たような主張を展開した。

それは資本主義が最も発達したマルクス理論からすると、矛盾が集積しているはずの場所で何故革命が起こらないのかという共通の問題意識を持った。彼らの共通する回答はこういうこと。誰もが現在の社会秩序が金持ちだけに貢献する特殊利害貢献的なものだということはよく知っている、と。しかし、他方で曲がりなりにも自分は暮らせていて、カツカツの生活でさえ生きている、と。革命が起こって、特殊利害貢献的な政権が倒れて特殊利害が失われたとしよう。しかし、それで、もしかして、今、勤めているこの会社、あるいは、会社の資本が傾いてしまえばオレは家族は仲間は一体どうなるんだと思う。

つまり、これを特殊利害共同利害矛盾問題と言っている。社会が特殊利害が貢献しているようであっても、他方でその秩序が存在することで、自分も貧者含めて誰もが食っているという共同利害もある。まったく同じことが日本でも生じていると思う。確かにこの秩序は特殊利害貢献的だ、と。この秩序が激変したときに、自分は、自分が勤めている会社は、あるいは、自分の今まで生きてきた延長線上でのプラットフォームがどうなるのかわからない。そうすると、不満足であっても、未来の未規定性、規定不可能のわけのわからなさを回避しようとするというのが起こりやすいということ。よく知られていることが起こっているだけなので、極めて日本が特殊だということはない。

ちなみに、一つだけ付け加えると、何故、若い人たちに安倍政権の支持率が高いのかというと、それは年長者に比べると正規雇用、あるいはストック貯金や株とか持っていない人が多いので将来不安が大きい。将来不安が大きい分、元々、世代的なメンタリティーが違わないとしても、共同利害を特殊利害よりも重視して、この秩序が変わっちゃ困るなと風に起こりがちだと推定している。

もう一つのファクターは単純に言うと、社会が荒野になったときこそ、実はその自治体がどうするのか。例えば和歌山県知事が国の方針とはまったく違うコロナ対策をして、いち早く病院の再開にこぎつけたとか知られているが、国がダメなら自治体の頑張りどころ。あるいは自治体がダメならもっと小さな自治体や仲間集団の頑張りどころ。仲間集団がダメなら家族の頑張りどころ。家族がダメなら最後に自分の頑張りどころが来るということ。そういう意味で、政府ガバナンスやオートノミーと言うが、依存も大概にして、自分たちで自分のことを決める気概を持つチャンスとして、その意味で言うとシステムへの過剰依存を脱して、自分たちで自分たちがそもそも何に依存しているのか。

例えば、災害が起きたときに、熊本を中心に九州で大変なことになっているが、災害でシステムが止まったときに自分たちはどのように生きていけるのか想像すること。日本人がまったくやってきていない。そういう非常にまずい状況にある。しかも、これから災害がどんどん起こっていくことになると、国や東京都レベルのマクロな社会ユニットがダメになっていくときこそ、僕たちが自分たちの振る舞い方を反省した上で自覚的に協同的に選択できるチャンスとして利用できるということがある。
その二つの要素があるので、決して暗くはなっていない。


■青木
今の安倍政権の有り様、小池都政の有り様というのが悪政かそうではないのか立場によって違うと思うが、宮台さんの問題意識もそうだろうし、僕の問題意識もそうだが、このまま行くとまずいよね、と。いずれ非常に危機的な局面というのが、コロナで相当危機的な局面を迎えそうになったわけだが、センチメンタルな話をしてもしょうがないが、それでもなんとか暮らせてそれなりに表現の自由もあるしなぁみたいなのと比べると、話が飛ぶが、香港。

日本でもおなじみになった周庭さんとか、民主化運動、とりあえずまずいからやめますという形で、切羽詰まる形であそこまで露骨に強権を発動されて押しつぶされていくという様をすぐ近くの同じアジア圏で眼前にしてしまうと、やっぱり、あまりに強権の下でこそ輝く運動と潰された運動と同じアジアにある国である日本の生ぬるいこう沈滞というか、ある意味で対照的である意味でこっちが幸せかどうか疑問に思うが、香港の今回の情勢も含めてどう捉えるか。


■宮台
数年前に中国の大きいな都市、天津とか上海とか北京とかに行って、それぞれの地域の北京社会科学院とかでいろいろな人たちと話してきて思ったこと。実は一番印象的だったことは僕はクリスチャンなのでキリスト教の布教が禁止されている中国でのクリスチャンの在り方だが、基本は個人のマンションなどにクリスチャンたちが集まって、ミサこそはしないが、聖書の読書会ということでお互いの信仰を確かめ合うということをやっている。話している内容は日本の普通の教会の信者が話しているレベルよりもはるかに高度で真剣。

これは青木さんが仰った通り。抑圧されることで燃え上がるものは三つある。一つ目は政治的な情念。二つ目は宗教的な情念。三つ目は性愛的な情念。

それはまったく自由が保障されていて、何も問題がないというフラットな社会の平面の上では我々は自分がどっちに向いているか計るコンパスがない。だから、その意味でいうと香港の政治運動が表だった行動が弾圧されたとしても、今の中国の各大都市のクリスチャンたちのように地下で自分たちの志を確かめ合う、それだけのコミュナリティでも構わない。それが続くのかどうか。

例えば、日本では1969年から70年にかけて学園闘争が終わったが、その後、あっという間にオールクライシスになったという背景もあって、皆、リクルートカットにチェンジして、どんどん会社に就職し、どんどん結婚し、ニューファミリーを持ち、団塊ジュニア世代を次々産んでいくということが起こった。ニューファミリーブームと言った。そういう風になってしまうかどうか。

日本の体たらくようには中国の宗教的な活動の現状を見るにつけてもならないだろうな、と。お互いの確からしさをむしろ弾圧によってコンパスを振ることで、維持可能なコンパスが存在することでむしろ続けられるだろうなと思う。その逆にいたのが日本。もう運動は無理なんだ、システムに適用して生きようやという風には中国や香港の活動していた方はならないんじゃないか、と。

そうすると、世界は変えられなくても、志を同じくする者たち、敏感な者たち、不正、正しくないことに憤る、あるいは、愛に生きる者たち、そうした者たちの連帯が続けられる可能性がある。むしろ、それができれば表だった政治的改革運動や政府転覆運動のようなものがなくなったりしても、それでがっかりするのは外から見る者たちのお門違いじゃないのかなと確信している。


■青木
香港をある種飲み込みつつある中国という国家体制の残酷さとか残忍さみたいなことばかり注目されるが、そういう中に飲み込まれながらもある種の情念やある種の宗教的な信念だったりで結びつく人がいて、かつ、経済的に見ると技術革新的な面でいうとおそらくこれは共産主義体制、一党独裁体制のもしかしたら利点であるかもしれないが、ものすごい勢いで技術革新あるいは発展を遂げる中国という国が横にいる、ある意味で産業面でも技術面でも人間の情念の面でも生ぬるい日本よりも、元々、当たり前だけど、中国の方が圧倒的でダイナミックで、内部では面白いものがいっぱいあるかもしれない。


■宮台
それは仰る通り。

日本は経済的指標から見ると終わっていて、最低賃金はヨーロッパの2/3から半分で、個人別GDP、あるいは生産性、次世代5G規格特許など。

とにかく、日本の経済にはもう明日がない。しかも、我々の実質所得が最も高かったのは97年でもう23年前。この間、GDPが下がり続けていた国はOECD加盟国では日本だけ。日本は二流どころか三流国になることは実は確定している。

どうしてそうなっているかというと、2011年の原発事故直後以降の日本の電力会社、経産省官僚、あるいは電力会社筆頭とする地域経済団体の動きで散々見た。

日本以外の国々はというと、ドイツのメルケル首相の宣言が象徴的に理解することができる。それまで2030年代まで原発を運転しようと思っていたのが、2020年代にすべてやめると宣言してすべてやめてしまった。日本は9基の原発を外に売ると言っていたが、すべて頓挫した。ざまあ見ろだと思わないか。東芝の不正経理見逃し事件も原発利権と密接に関連していると多くの人が推測していてそうだと思うが、すべてざまあ見ろ、だ。

つまり、既得権益に縛りついているが故に産業構造改革ができず生産性は上がらない。大企業もそうだし、各地域の経済も全部そう。

僕はそこをスイス時計業組合を出すが、日本のデジタルクォーツにやられたので、投資家によってプランティングをしてもらい、スウォッチというブランドを作る。その結果、一挙に盛り返すということをやった。ルイヴィトン系列も見たようなことをやった。そういう風にして、地域のプランティング・・・これを地域の結束によって可能にした上で生産性を上げていくという工夫。地銀の一部がそれをやっているとは言え、まったく日本の動きはお粗末。

だから、どこからどこまで、隅から隅まで、どこを切っても金太郎飴の安倍の顔と言っているが、現状維持的、既得権益依存的なメンタリティーは変わらない。それはさっき言った通り、見たいものしか見ていないから。

日本以外の国でいわゆるブーミングというか盛り上がりつつあるのか、どういう国がどういう理由で浮き沈みつつあるのか分析しない。アメリカのPR会社エデルマンが調べている通り、先進各国の経営幹部、経営委員会で参加しているメンバー(日本の取締役会)は日本におけるリスペクトが一番低い。

その理由もはっきりしていて、要は日本の経営幹部は既得権益にすがってケツを舐めるヤツしか上がってこないとみんな知っているから。斬新なイノベーションによって新しいブランドを立ち上げ、人々を勇気づけながら新しい方向、リスキーでありながらそこに人々を連れていくみたいな経営幹部は日本では絶対にトップになれない。


■青木
だから、そういう過程の中でこの都知事も起きた小さな出来事、と。

2020年06月02日(火) 月イチ宮台

2020年06月02日(火)
JAM The World 月イチ宮台
青木理、宮台真司

20190331_001s


非常に重要な話が出たので、以下、レポートを引用する。現在置かれている状況をここまで読み取らなければならない。倫理とは何か。悲劇の共有とは何か。突き付けられた課題は大きい。


■青木
前回も言ったが、一ヶ月というスパンというのは昔は月刊誌があって物事を思考するのになかなかいいじゃないかと思っている。この間、一ヶ月間でいろいろな物事が動いた。リスナーの方々から結構、宮台さんに聞きたいことといっぱいメールが来ている。例えば、マスメディアがこんなにめちゃめちゃなのにちゃんと機能していないじゃないか、と。

「権力と賭け麻雀の問題もあり、権力とメディアのあり方があらためて問われていると思うが、日本ではジャーナリズムが自浄作用として機能するためにはどのような制度設計が必要なのでしょうか。生活必需品だから軽減税率が適用されるはずの新聞よりも文春の雑誌の方がよい仕事をしているのもなんだかもやもやする。」

この前のコーナーで、ちょっと僕なりの自戒の念を話したが、宮台さんはどう思うか。


■宮台
制度の設計の問題ではない。

倫理の問題で、倫理を持つ人間たちが日本では育たないように元々なっている。それは制度よりも文化の問題。倫理とは何かというと、日本人にはわからないかもしれないが、ユニバーサルには決まっている。これは絶対に許せないという感覚の公共性。例えば、世界の法はいろいろあるが、殺すな、盗むな、火を付けるな、犯すなというのはすべて共通している。こういうネガティビティ、ひどいことについては絶対許せないという感覚を人々は自分だけではなく、多くの人が持つだろうと期待する。そういう期待し合う人間が大勢いる、そういう社会に倫理があるということで、そこから自然法思想というものが出てくる。それに対して、良いものについてはあれが良い、これが良い、簡単に言うと良いものは分化しやすい。人それぞれになりやすい。

さて、倫理というものは絶対許せないことについてのこだわりをみんなが持つかどうか、そういう期待ができるかどうかだが、それを持つための前提は「悲劇の共有」。それは何故かと言うと、もしそれが絶対いけないことをみんなでシェアできなかったら、その社会は事実として滅びてしまうことがあるから。滅びに瀕した社会はそれを記憶として絶えず再生しながら倫理を保つことがある。

日本の場合には悲劇の共有がない。先の敗戦も悲劇として共有されていなかった。その理由は単純でアメリカのケツを舐めたから。東西冷戦体制があって、実際、アメリカに戦争に負けていた。負けたあと、アメリカに着いて行けばいいことがあると思った。Give me chocolate問題でもあって、庶民感覚でもあった。しかし、東西冷戦体制はいずれ終わってしまう。そして、終わってしまった。東西冷戦体制が終わってしまえば、アメリカが自由な西側を守ってくれるという公共性がアメリカ自体から失われていく。冷戦体制が終わった90年代半ばに、日本は2プラス2を通じて、アメリカのケツ舐めをやめるかと思ったら、まったく逆でアメリカが戦争したら着いて行くという図式を作った。1999年の通常国会以降、周辺事態法であったり、有事法制であったり、盗聴法、通信傍受法であったり、ということ。そういう意味で言うと、日本は残念ながら未だに日本人は一般的に倫理がない。もちろん、メディアにもない。政治家にはましてない。そういう状態。


■青木
「悲劇の共有」という言葉がキーワードだが、宮台さんは先の大戦におけるところの無惨な敗戦も悲劇としてちゃんと共有されなかったと仰ったが、ただ一定程度は共有されたというか、あんなことをしちゃいかんとか戦争だけはやめようとか、憲法9条はいいかどうかは別にして、旗頭として憲法9条を大事にしようじゃないかというような一定程度の共有はあったけれども、しかし、いい加減で、かつ、そういう体験者、共有者がどんどん社会の中央、中枢からいなくなって、ますます悲劇を忘れ去る、共有をしなくなってしまった。こういう見方はできないか。


■宮台
それは「私たちは悪かった」vs「私たちはダメだった」の対比である。ドイツでは「私たちは悪かった」ではだめで、どこが悪かったのか、ダメだったのか、ダメさを徹底的に明らかにしてそこを変えなければまた同じことが起こる。日本人の場合は謝罪が大好きだということもあり、謝る、悪かったと言うが、じゃあ、どこが悪かったのか、どこがダメだったのか、それをはっきりさせなかった。ダメさの根源がまったく変えられないまま。

例えば、絶えずキョロ目をしながら周りを見ながらポジションを探るとか、所属集団の中でのポジション取りだけするとか、統治権力を信頼して、文句を言う人を見つけると不安を煽るのかと浴びせるとか、すべて劣等性そのもの。この劣等性、ダメさをまったく変えていない。


■青木
そこにこだわるが、悲劇の共有の意味でいうと、例えば先の311、東日本大震災、福島第一原発の事故、あるいは新型コロナの感染拡大、例えば、最近、検察庁法改正に抗議するというムーブメントがネットに広まったというのはある種の悲劇を市民たちが、あるいは、我々が共有したので、ポンコツ政府にまかせると大変なことになるよとようやく気付いたことによって、これは許すべきじゃないというようなものが一定程度わずかながらも広がったと見るべきか。


■宮台
そういう風に見るべきだが、それは60年の安保条約の改定のときや警察法改正のときとか、度々、そういうことは日本では度々生じている。ところが、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということは繰り返し生じてきた。丸山真男が日本人はこのままではまた同じことを繰り返してしまう。だから、日本は自立して、あるいは、日本人は自立して、一身独立して一国独立するという福沢諭吉の原則に戻るべきだとはっきり言っていた。多くの人たちはまさにそうだと思って、丸山真男ブームが知識人の間で起こった。でも、それはブームだった。周りが読んでいるから丸山を読む。周りが良いと言うから丸山が良いと言う。したがって、キョロ目している人間たちはブームが終わってしまうと、丸山から離れて、気が付くと社会から丸山の痕跡が残っていない状態にあった。だから、10年経つと社会は丸山を完全に忘れていたということになった。なので、一時、これは絶対許せないという風に国民が噴き上がるだけでは、同じことが繰り返されるということをメタ的にそろそろ学ばないとマズいと思う。


■青木
宮台さんに質問が来ている。

「宮台先生に質問だが、安倍内閣は何故このような状況の中でも政局にならないのか。もう嘘で固められた内閣で、できるのは飛行機を飛ばしたり、使えないマスクを配ろうとしたり、国の一大事のときに出てくるものとは程遠い感じがする。何しろ、それを自慢するのだから、目も当てられない。どうしてこうなるのか。」


■宮台
悲劇を共有していないから。

安倍をトップにいただいていることで日本が奈落の底に落ちることを経験する必要がある。それを加速主義的な立場と言ってきた。その意味で言うと、僕は安倍さんに四選してほしかったし、安倍内閣第二次誕生したときも喜んだ。これで日本人のいい加減さによって日本人が自業自得の悲劇を被るだろうと予測したから。そういう風になりかっているのはとても良いことだと思っている。しかし、まだまだウヨ豚が跋扈している状況を考えてみると、あるいは安心厨、簡単に言うと上に媚びへつらう依存厨と周りをキョロキョロ見てポジションを取るキョロ目厨が合体して、安心厨になっているという、こういう安心厨という虫がどんどん湧いている状況を見ると、相変わらず、自分の頭で置かれている状況を観察し、自分の周りの人間たちを守るために決して安心せずにベターな選択していくというのができない。「不安を煽るのか。」「バーカ。不安にならないと各人が選択できないんだよ。」とそういう問題がわかっていない人たちがまだ大勢いる。残念だけれど、もっともっと落ちないとダメ。


■青木
宮台さんが別の場所でも議論していて注目していたが、おそらく多くの人々、それなりにきちんと思考能力がある人であれば、決して今、日本のこの国だったり、社会だったり、政治だったりがおそらく良い方向に向いていると思っていない。しかし、なんとかやれているよね、と。

最近、某大手新聞がなんでこんな世論調査をしたのか意味があるか別にして、未だに日本の人の6割、7割は自分が中流だと思っている、と。つまり、まだまだ別にそれなりに呑気に暮らせるよね・・・宮台さんの言葉で言うと茹でガエル。急速に温度が熱湯に上昇していけば気が付いてこれは許せないとなるが、まだなんとなく暮らせちゃっているよね、と。徐々に温度が上がっているので。悲劇がどんどん先送りされて、カタストロフの度合いがでかくなっちゃう恐怖を抱く。


■宮台
カタストロフは本当は不幸なことだが、日本にとっては必要なことだと思う。

以前から日本の経済データは盛られたものしか発表していない。失業率は非正規で盛れる。同じことで株価はGPIFと日銀で盛れる。盛れないのは最低賃金、個人別GDP。これはひどい。あるいは、国家レベルでのGDPでの成長率。日本は20年間成長していない。家計レベルの実質の所得が一番高かったのは97年。なんと23年前。しかも、最低賃金はアメリカの高いところや欧米の3分の2、場合によっては半分。個人別GDPはそういう状況で、去年、韓国とイタリアに抜かれている。

しかも、みなさんはどう思っているかわからないが、オリンピックは多分もうない。それは選手に練習会選考会その他を強いることが残酷だから。日本でそれができたとしても、他の国ではできない。とすると、まず経済的に日本はなんとなく成り立っているように見えるが、これからは成り立たない。日本人は能天気なので、Modern Monetary Theory(MMT)が成立するかどうか、財政破綻するかどうかをよく議論する。財政は破綻しない。問題はそこではない。いわゆる年金の財政が破たんするかどうか。破綻しない。いざとなったら、支出を絞ればいいだけ。

問題は日本人がどんどん貧乏になっているということ。財政破綻しなくても、どんどん貧乏になっている。日本は内需で回っているが、資源やエネルギーは外に依存している。貧乏になれば、どのみち我々はそれを買うのに身銭を切らなければならない。今でさえ義務教育費は先進国の中で最低。だから家計の中から、1/3、1/4というお金を教育費に回している。

しかし、多くの国ではヨーロッパを中心として教育は無料。医療も北欧を中心として無料。その代わり、税金は高い。税金は高いが、ヨーロッパ全体として所得も日本よりも高ければ、物価も日本よりも高い。最低賃金も1.5倍から2倍。その代わり、ワンコインなんかではご飯を食べれない。昼間でも1000円払わなければ暮らせない。それがでも、豊かな国ということ。そういう意味で日本は終わっているが、それをマスメディアは報じない。それはなんとなく皆のいい気分、なんとなく中流でいられる気分を壊すことで不人気になりたくないから。しかし、どこかで潮目があって、閾値を超えると能天気なことを言っていると今度は叩かれるように必ず日本は変わる。いずれ近いうちに生じる。それは潮目を越えなければダメで、カタストロフ寸前までいかないと変わらないと思う。


■青木
カタストロフいく前の段階で、例えば、宮台さんがよく言っている産業構造の変換にしてもその他、いろいろな問題点を気が付いて、どこかで何か変えるというのがあるいは変わるというのが人間の理性であり、知恵であり、知性でありという感じがするが、宮台さんが仰るようにカタストロフなのか、カタストロフ直前までいかないと変わらないというのは日本人特有ということなのか。


■宮台
日本人特有のこと。

これはかなり古い歴史があるので将来に渡って変わらない可能性が高い。人類学や民俗学を調べればわかるが、日本人は日本という国はこの地域は農耕、農業が始まる前に定住していた。縄文の初期の段階がそう。縄文の途中から農耕が入ってくるが、その前から定住していた。それは何故かと言うと日本の国土の当時9割が山で、各地に点在している沖積平野に人が住んでいた。沖積平野と沖積平野の間には距離があった。距離があったので、何と言うべきか、要は争う必要はなかった。争う必要はなかったので、ジェノサイドもなかった。


■青木
地域的に言うと、日本と言う国の島国根性という言葉に置き換えられるかもしれないが、例えば、直接的に侵略されたことがないし、存立自体が危機に本当の意味で陥ったことがなく(先の大戦は自業自得で存立自体が危機に陥ったが)、そういう意味で言うと、よく言えばのんびりしていると言うか、悪く言えば自分たちが生き残るために何を選択し何をどういう風に向かって行ったらいいのかということができなかった。


■宮台
要するに、倫理がない。倫理がなくて、周りに合わせるだけ。

倫理と言うのは貫徹。簡単に言うとそれをしなければ我々は滅びてしまう、だから許せないことは絶対に許してはいけないという貫徹。日本にはその貫徹がない。何があるかと言うと、学習がある。周りがもういいと言っているからいいんじゃないとなる。それはそれでやってこれた。そういう地政学的なあるいは風土的な特徴があったから。そういう特徴がある場所は世界中にない。日本人の歴史が作り上げた特性だと言える。


■青木
それはちょっと悲しい気がする。


■宮台
ただ、考えてもらいたいのはそれがひどくなる可能性。今、ZOOMとFaceTimeを使って、ブロードキャストをやっている。こういうリモートワークやリモート授業が広まると、確かにTwo-Weであるけれど、集まりの構造、ギャザリングというのがなくなる。ところが、小学校のころを思い出してほしい。教室の教室たるゆえんは先生と生徒の間の二方向、双方向のコミュニケーションというよりも横のつながり、生徒の間のつながり。生徒の間で遊ぶことであったり、知らない人と出会って仲良くなって、喧嘩してまた仲良くなるみたいなそういう横のプロセス。そうしたギャザリングがあるので、例えば、先生に聞かなくても友達に聞いて、場合によっては悩み相談もしてお互い親しくなるだけでなくて、そこでいろいろな解決できる、という知識社会化ということも学べる。今、リモートかして断片化されたアメリカの二国間外交みたいなレクチャーだと生徒の間とのそれぞれとの関係があって。。。


■青木
スタジオにいる作家の人間も興味があると言っていたが、要するにリモートでいろいろできるのは利点も利便性もあるが、ギャザリングつまり集まることができなくて横の場がなく分断される。これは問題があるか。


■宮台
めちゃくちゃ問題ある。

例えば、倫理の基盤とは何だろうと考えてみると、基本的に言葉の外、損得の外、法の外でつながっているという感覚。これは例えば、外遊びなら外遊びで生じることでもある。簡単に言うと、一人で虫を獲ってても無理で、みんなで虫を獲る、球技をする、ブランコで遊ぶことがあると、縄跳びが一番わかりやすいけれども、共同身体性が生じて、それをベースにして共通感覚も生じる。だから、人が痛いとなると自分にも痛みが生じるというダイレクトな身体性、つまり、つながりというのも生じる。

そういう経験の中で与えられるものが実は倫理の基盤。それがなくなってしまうと、我々は残念ながら仲間を作るということができなくなる。そうすると、仲間のために何かを背負う、僕だけが許せないだけでなくみんなも許せないはずだという感覚もなくなる。残念だが我々から倫理の基盤が消えていく。今でさえどんどん脱倫理的になっているが、ひどくなっていくだろう。


■青木
つまり、ただでさえ日本人に希薄なこれは許せないんだという公共性みたいなものが、コロナ禍の中で子供たちでいうと三ヶ月くらい喪失しているが、これがさらに進んでしまうという可能性がある、と。


■宮台
その可能性があるということ。集まりの構造をどれだけ意識的に保つのかというと今後、コロナでロックダウン、あるいは疑似ロックダウン、それを緩和し、歩いて井戸繰り返すのだとしたら、非常に重要になる。

コロナで死ぬのも大変なことだが、経済死、経済で死ぬのも大変なこと。しかし、経済で死ぬというのは日本の場合、自殺あるいは孤独死。当たり前だが、コロナ死と自殺者の数、これは経済と相関しているが、合わせた数を減らさないといけない。もっと言うと、コロナ死、経済死、社会死、孤独死というものを合わせたものの数を減らさなければならない。

コロナの数も減らしながらもそればかりを計上するのはダメで、人々の倫理的な感覚のベースになるような集まりの構造を保つ、それも長い間、意識しながら保っていくということが必要で、もしそのことがうまくいくのであれば、まさにコロナを奇貨として日本人が自覚しなかった倫理の基盤を我々が再構築できるということになるかもしれない。


■青木
宮台さんに聞くのは愚問かもしれないが、9月入学というのが一時盛り上がって、政権基盤が揺らいでいるので与党からはねられたらしく、結局ぽしゃったのだが、9月入学への移行は宮台さんはどう思うか。


■宮台
くだらないと思う。以前、デイキャッチでも言ったことだが、安心安全便利快適という便宜という観点からすると留学がこれから増えていく。出ていくのも入ってくるのも。そうすると、9月入学にした方がコストがかからなくなる。長期的に見た場合、そういうこと。無駄な時間を使わなくてよくなる。

しかし、国際化はこれから考えればわかるが、例えばビルゲイツがどうしてBH(big history)に関心を持ったのかというと、リモートな大学の受講、それを通じて関心をもった。これからおそらく海外に留学するといっても、リモート授業にお金を払って参加するという形になっていく可能性がある。たまに、チューターに会ってコーチングを受けるために、二月に一度、1シーズンに一度、現地に出かけて、一週間のセミナーを受けるみたいな形になっていくと思う。

そうすると、英語教育の問題と同じになる。ポケトークみたいなのがどんどん普及していけば、一般人には英語教育がいらなくなっていく。英語教員にとっては非常に大きな利権問題だが、テクノロジーが発達した末に何が生じるのか考えてみると、人の移動はこれからどんどんどんどんいらなくなっていく。そうすると、例えば、日本の場合はなぜ4月なのかというと、春は日本場合はいろいろなものが芽吹き、桜が咲いて、ある種日本人が長く抱いてきた共通感覚にマッチしていることもある。先ほど、共通感覚の問題は別の枠組みで集まりの構造と話したが、お花見に集まってそこで新しい時代の、あるいは、新しい時期の始まりをみんなで称えあうという風にして一年が始まるという日本的な感受性が結構、大事かもしれない。

何故、大事かもしれないという言い方をするかというと、例えば、全米ライフル協会のチャールトン・ヘストンが以前、会長をやっていた。そのとき「銃を持つことによって、カナダの300倍も人が死んでいる。これはおかしいのではとあなたの言うことはわかるが。」と言う。アメリカ人にとって、銃、GUNはシンボルである。GUNを手放せば、確かに秩序は保たれるだろう。しかし、それはもうアメリカではない。

社会が良くなると言うときに、単に社会が良くなるという風なのっぺらぼうな考え方でいいのか、まさに日本人にとっての日本の社会が良くなることを意味しているのかということを考えるのが実は保守ということ。右ということ。僕たちの共通感覚を壊すような社会を壊すような、そういう社会の改革によって、安心安全便利快適な度合いが上がったとしても、それは確かに社会は良くなった。しかし、日本の日本人の社会が良くなったと意味するのかどうか。これは文学者が長く問うてきた問題。三島由紀夫がからっぽな日本という言葉で問うてきた問題。あるいは、保田与重郎という日本浪漫派の人がそういう恥ずかしい西洋的なもののパッチワークしかできない、いつもいい加減で周りをキョロ目してこの恥ずかしさが日本人の日本人たる所以なんだと言ったと関係する大問題。


■青木
と言うことは9月入学なんものはレガシーが欲しいだけかもしれないが、この機に乗じてやろうというのは今の政権だったり、今回進めようとした人たちは「自称」保守の人たちでとても保守と思えない、と。


■宮台
インチキ保守。牢屋に入りたくないというだけで、特別法の国家公務員法を改正、解釈して、黒川の定年延長を計ろうなんてやった。黒川は東京高検の検事長ということになっていが、僕は検事長として認めない。黒川決済の書類が出てきたら、みなさんどんどん訴訟しようと呼び掛ける。


■青木
屁理屈を唱えるわけではないが、これは許せないという公共性が日本では薄いじゃないかという話だったと思うが、(一方でピント外れかもしれないが)新住民と自粛警察という自粛警察がコロナのときにムーブメントになったが、みんなが我慢しているのにあるいは感染防止のために頑張っているのに、こんなことをしているヤツを許せないという感覚を持っている人たちと言えないこともないかな、と。


■宮台
しかし、それは神経症的な個人的な感情に過ぎない。

要は自分がやっていることをやっていない、自分はキョロ目して生きているのに、正々堂々と自分でいろいろ考えてきているヤツを見ると、自分が否定されたと感じて劣等感を覚える。なので、みんなで一斉に叩く。不倫炎上でも見られることで、一概に倫理があるからじゃない。何故かと言うと基準がいつもころころ変わるから。

統治権力やこう言っているのに、結局、偉いもの、大きなもの参照して、それをみんなでキョロ目しながら従っていく。ところが、そこに自由な人が一人いると、コイツ目障りだからやっちまえという風になる。この劣等性がまさに安心厨として表れている。自粛警察として。


■青木
公共性というか、許せない公共性がない。日本の場合は特に元々ないかもしれないけれど、アメリカの場合、トランプ政権を見ていると、トランプを支持している人たちは悪いわけじゃないが、そもそもそういうものが崩壊していっている。自分たちが中流から落ちたせいなのか、あるいはエスタブリッシュメントへの反発なのかという理由は別として、許せないという公共性はアメリカでも壊れかけている感じもする。それは日本と違うと思うか。


■宮台
アメリカの場合は大分、違うと思う。

トランプの支持母体はラストベルトの旧自動車工業を中心とする昔、中流だった労働者たち。今、オピオイドがアメリカでこの10年間蔓延しているが、白人の旧労働者たちが中心。この人たちは心身ともに傷んでいて、しかも昔はこうじゃなかったのにと思っている。そこにトランプが出てきて、オレにまかせろ、と。あの古き良きアメリカをオレが復活させてやる、と。オレがお前の痛みを止めてやる、と言っている。

これはすごくアメリカ的。インテリのテクノロジスト、反動主義者、加速主義者もトランプを支持している。何故かと言うと、トランプであればテクノロジーを通じて、バーチャルとかオーグメンテーションだけれども、それを使って古き良きアメリカを復活させられるだろうと思う。アメリカには絶えず「古き良きアメリカ」という参照点があり、それから離れれば離れるほど痛みを感じる。そういう状態があり、であるがゆえにオレにまかせろ、傷みを止めてやる、古き良きアメリカに戻してやるというメッセージになる。

これはもちろんポピュリズム。政治的な動員を意図した扇動。しかし、これに意味を持つということにすごくアメリカ的な文化を感じる。

実は今起こっている人種暴動の背景でもある。リチャード・ローティが今から25年前にこういうことを言った。リベラルという思想は乗り物に座席がたくさんあるときの話で、そうすると関係ないヤツが座っていても、女が座っていても、黒人が、ヒスパニックが座っていてもまあいいかとなる、と。しかし、座席が減ってくると(90年代半ばごろから段々減っている。今、急速に減っている。)、そうなると「なんでお前が座っているんだよ。それは元々、オレたちの席だったんだ。」となる。

元々、オレたちの席だということを主張する人間たちが排外的に振る舞うようになる。日本と違って、アメリカの場合の排外主義、人種主義は単なる神経症的な気休めということではなく、座席が少なくなってきたときに元々誰の場所だったのかということを主張する人間たち。

むしろ、これは移民国家だから起こること。最初に入ってきたのは誰なのかということから入ってきている。アメリカは多様性があると言うけれど、それは古き良きアメリカを作っていたキリスト教白人の多様性である。モルモン教があってもいい。キリスト教の様々なセクトがあってもいい。それぞれ生活形式がは多様だ、と。それは白人のキリスト教徒の多様性でしかなかった。そこには黒人は、ヒスパニックは、あるいは東洋人はいなかった。バスの座席に座っていなかったよね、だったら出ていってくれよという風になっている。その意味で言うと、非常に原理主義的になりやすい。

日本の場合は原理主義になるよりかは参照点がまったくない。なので、保守とか主張する人間たちを見ると、一体コイツら何を参照しているのだろうか、頭大丈夫なのと思う。

2020年05月12日(火) 月イチ宮台

2020年05月12日(火)
JAM The World 月イチ宮台
青木理、宮台真司

20190331_001s


非常に重要な話が出たので、以下、レポートを引用する。現在置かれている状況をここまで読み取らなければならない。コロナ禍の中、マスメディアの劣化は特に注目しないといけない。


■青木
「音楽が聴けなくなる日」という本を集英社新書から出されるということだが、これはいつ発売か。


■宮台
5月15日の発売のはず。Amazonの予約などでもう購入できる。15日あたりには届くと思う。


■青木
永田夏来さん、かがりはるきさんの共著とのことでまだ手元には本はないが、その本の帯のところを拝見すると、電気グルーヴのピエール瀧さんが麻薬取締法違反で逮捕されていろんな自粛現象というか、在庫回収とか集荷停止、配信停止ということが起きた、と。こういうその自粛の状況というものを「音楽が聴けなくなる日」というタイトルの中でいろいろ論考されているということだが、もうちょっと宮台さんの思いとかお考えとかお話しとか伺いたい。


■宮台
今、コロナ禍で社会が混乱している。正確に言えば、それぞれの社会の性能や統治機構の性能や統治者の性能、あるいは人々(people)の性能が試されている。共通一次試験、センター試験みたいなもので、ほぼ同じ条件の下でいろんな社会が試されていて、日本が際立ってダメさを露呈しているという状況。この本を読んでいただけると、日本のどういうところが徹底的にダメなのかということがよく分かるようになっている。コロナを想定して書いてはいないが、実はどこをとっても日本社会や日本人や日本の政治家のダメさは金太郎飴のように同じ。


■青木
そういう意味で言うと、まさに月イチで今日もいろんなことを伺いたいことがあるが、その前に僕自身も興味あり、リスナーの方からも宮台先生に質問が来ているメールがある。

「広く報じられているが、ツイッターで「検察庁法改正案に抗議します」というツイートが500万件超えて拡散されるということが話題になっている。これは一過性のものと考えるか。それとも政治を変えるきっかけとなりうる持続的な影響力があると思うか。」

という質問が来ている。この質問に対する回答とそもそも今回の検察庁法改正案の動きについて、宮台さんはどんな風にお捉えになっているかあたりからお話を伺いたい。


■宮台
これはもちろん自分が違法な振る舞いをして、そのことを自覚している安倍が基本、検察庁長官を変えないと、自分のお手々が後ろに回って牢屋にブチ込まれるということを恐れて、黒川弘務に変えようとしている。

黒川弘務は、元々、過去7年以上に渡っていろいろな事件をもみ消してきた、もみ消しの帝王として知られる人だから、その意味で言うと、簡単に言うと政権のケツを舐めてもみ消してきた人なんだけど、そういう図式。歌読みみたいな形式でも言ったが、お手々が後ろに回るのがそんなに怖いか安倍晋三という問題。悪いことをしたって自覚があるんだったら、正々堂々と牢屋に入れ、こらということでお終い。


■青木
このツイッターというところのムーブメント、500万件を超えたってことを政権与党なんかは、こんなものは膨らますことができるんだみたいなことを言って軽んじようとしているようだが。


■宮台
ところが、所謂、計量社会科学者、数理社会科学者が分析をして、そういうことはないということをほぼ実証している。それはツイッターから公表されているツイート数やその間の関連性から実は数理的に分析ができていて、これはBotによるものでもない、特定の人間たちがいろんなアカウントを使ってばら撒いたものでもないということが、そのこと自体が実証されているので、与党をはじめとするあるいは安倍ケツ舐め勢力による言いがかりがあり得ないというのは科学的に実証されている。


■青木
この500万だとすれば、500万という数字はやっぱりかなり注目すべきものなのか、注目すべきものだとするならば、これだけ広がった理由というか背景というのはどんな風に分析するか。


■宮台
ある種のヘタレぶり、卑怯さ。
一人だけ法を曲げて生き残ろう、牢屋に入らないでおこうというのはまさに政治家にあるまじき振る舞い。政治家の倫理は一般人よりも高潔であるべきだというのがマックス・ヴェーバーが言ったこと。いざとなれば国民を守るために法を破って、その結果血祭りにあげられるということがあり得るということが政治家。

しかし、自分がなんとしてでも法の内側にいることを証明し、違法なことをしていることが明らかであるのに、なんとか逃れようとするというのは一般人、政治家ではない市民に比べても明らかにダメ。人格的にも、簡単に言うと倫理的にも道徳的にも国民を思う心がないという意味でもダメ中のダメ。そのことが明らかになったということで、多くの人が憤激しているわけ。

もちろん似たようなことは過去もあった。それは敗戦のあとの反省において生じたこと。海軍軍令部も陸軍参謀本部も本当に酷かった、と。レイテ戦とかインパール作戦とか、9割以上は病気と餓死で戦死はしていない。のうのうと中央で指揮をしていた連中は徹底的に言い逃れをしようとして、アメリカがたまたま東京裁判を主導してくれたせいで一部は裁かれたという経緯だけど、日本にはその力がなかった。その後に日本人が、例えば一部の人の言うところの憲法感情において、そういうヤツは許せないしそういうヤツが二度と来ないようにちゃんと国を作り変えようという気持ちになったことがあった。

しかし、数十年すると忘れる。1960年代に入るまでには忘れている。それは小熊英二さんという方が「民主と愛国」という本で書いておられる通り。いろんなデータからもそれは分かる。その意味で一過性。続かない。

ここまで安倍がダメな人間だと明らかになったということで、政局になる可能性がある。このような法律を通す政治家が総裁であるような党というだけでも、ブランドにめちゃめちゃ傷が付く。もう傷が付きまくっている。

もちろん安倍だけじゃなく、ケツを舐めて何かというと閣議決定で安倍の言う通り、安倍の周りにいる君側の奸の言う通りに物事を決めたという意味で一人のせいではないではないけれど、ここのところでなんとかしなければ自民党がどうなるかこうなるかだけではなくて、基本的に我々の社会のプラットフォームがぐじゃぐじゃになる。

たとえば遵法動機。首相が平気で悪いことをして法を曲げて逃れようとしているのだったら、オレたち法を守らなくていいんじゃないかという人間たちが出てくるのは自然なこと。あるいは、悪い人たちを捕まえようというような動機を持っていた検察官たちの動機や意欲も多いに挫かれる。なぜかというと、黒川弘務が長官になれば、正義を貫徹しようという検事たちの努力が最終段階で握りつぶされる可能性があるから。その意味で、いろいろなところでホントに病気が体中を蝕むように日本中に広がっている。日本全体をダメにするだろうという予感が多くの人にあるということ。だから政局にもなる。

同じ理由で実はツイッター上でこれだけ盛り上がっている。これは、プラットフォーム上でのゲームのやり方が間違っているのではなく、ゲームがあまりにもクズなのでプラットフォーム自体が崩れてしまうというゲームの妥当性の問題じゃなくて、簡単に言うとこのまま守れるのかどうかという問題なんだと風に多くの人が気がついたということ。同じ理由で政局にもなる。


■青木
気がついたというのは、先の大戦ともちろんと比べようがないけれど、ある意味でコロナという我々の目の前に非常に生命を脅かしかねないようなものが現れたときに、政治が無能というか政治が機能してないと、こんなに被害を受けるんだってことが実感としてわかったということが、ある意味で今回のかなり広範な層、これまで政治的発言を控えていた著名人の人たちが声をあげたってことにもつながったと、こういう風に見るべきか。


■宮台
そう見るべきだ。ただし、安倍のせいだと考えるのもまずいし、官邸官僚のせいだと考えるのもまずい。菅義偉官房長官のある種のやり方だけれども、劣等感で人を操るということをやってきた。干したあとで政権に参画させると、クソをついたケツでも舐めるという政治家がいっぱいいた。同じように、入省順位も下で劣等感に苛まされているような人たちを官邸に呼んで取り立てると、やっぱりクソをついたケツでも舐める。つまり、劣等感による操縦ということが為されていた。

その意味で言うと、そのゲームに関わっている人間はめちゃめちゃたくさんいる。自分よりも無能で道徳的にも劣るヤツが自分よりも頭越しにいい場所につくと、それだけでそれまで倫理的だった人間がどんどん崩れていくことが今、連鎖的に起こっている。そういう意味で言うと、日本人の弱さがものすごくたくさん目に見えるようになってきたということ。

安倍が二期目をやることにも賛成だったし、安倍が長く続いてほしいとずっと言い続けてきたのは日本のダメさをあぶりだす、云わば中興の祖として機能するだろうということから。要するに日本のダメさを加速度的にあぶり出す。中国の習近平も中国では加速師と言われている。加速をする人間。

その意味で言うと、安倍晋三も日本のダメさを加速させることによって、日本の日本人組織のいろいろなところに貼り付いているダメさをあぶり出してくれたと言う意味で非常に重要。あぶり出されたのは安倍のダメさというよりもやっぱり日本人、日本の文化の持つ弱点、日本の組織が持つあるいか組織文化が持つ徹底的なダメさをあぶり出したと考えるべき。


■青木
それに関連して、リスナーの方からメールが来ている。
「宮台さんは加速主義を標榜されていて、わたくしもこの国は行くところまで行かねば、最早外に出ることができないと感じてはいる。しかし一方で、段々と長期的な専制政治体制に近づいていくという強い恐怖も禁じ得ない。宮台さんはどの程度まで国が壊れることを許容されているか。」


■宮台
それはとても難しい質問。国が一回地位を落とした後、つまり、日本は急速に経済的、政治的、いろんな地位を落としつつあるがその後、これじゃダメだとしてリバウンドしたとしよう。リバウンドの方向性がどっちに行くのかことを今から予想することはできない。しかし、安倍のあとのリバウンドであれば、少なくとも安倍方向ではないということだけは言える。

したがって、そこでいろんなバトル、戦いを繰り広げることができるということが非常に重要。そこで僕たちは試されるということだと思う。それでダメなら、またその次のチャンスを狙うしかないわけだが、今回、安倍によって加速された日本のダメさがあぶり出しということを奇貨として利用するしかない。

実は新型のコロナのdisaster(コロナ禍)によって加速されたという面が大きい。安倍からしてみれば神風の反対。日本国民にとってはまさにコロナ対策を巡って、アベノマスクとかも含めて、どこまで行ってもクラスター対策にへばりついた厚生労働省クラスター対策班、あるいはそれを支援する政府という図式を含めて、やっぱりコロナのおかげで神風が吹いた。安倍のダメさを加速してくれたということ。


■青木
クラスター対策班という話が出たが、多くの人が感じているんじゃないかと思うが、政治、官僚とかいうものの歪みというのもそうなのだが、いわゆる科学者、しかも、原発事故のときもそうだったが、政権の周辺にいる科学者に対する不信感というか、今回、宮台さんご自身でまとめられた宮台真司ツイート備忘録の中でもクラスター対策班のダメさっていうのを指摘されてる。ある種エリートの科学者であるはずでその道の専門家であるはずなのに、なぜダメなのか、どこがダメなのか、何がダメなのか。もう少し宮台さんの解説というか、お話を伺いたい。


■宮台
2つある。国民のケツを舐めている点。日本人は諸外国にあるまじき変な振る舞い方をする。それは安心厨、100%ゼロリスクマニア。

これは二つの要素があって、一つは江戸時代以来のある種の伝統的文化作法はあるけれどお上に任せときゃ大丈夫なんだ、と。お上を批判するお前は不安を煽るのか、というお上べったり依存による思考停止から生まれる噴き上がり。

あと、周りをキョロ目で生きている人間たち。「音楽が聴けなくなる日」にも書いてあるキョロ目企業ソニーを批判したのと同じロジックだが、こういう絶えず周りをキョロキョロ見渡して同調する人間というのは同調しない人間を見つけ出すと自分が否定されたと感じて、自由な人間に対して嫌な気持ちがしたり、嫉妬したりする。これは不倫炎上でも出てくる典型的な日本人だけの心理。

その二つの要素。絶えずキョロ目で周りを見ていて同調しようとする、あるいは、絶えず上は大丈夫なんだと信頼しようとする自分で思考する力のない安心厨のケツを舐めて「安心です。安心です。クラスター対策をやっているから安心です。」そんなわけがない。

クラスター対策が安全なのはクラスターで捕捉できないところで感染者が出てこないこと。でも、ある段階から出まくった。出まくったのにも関わらず、残念ながらAプランの次のBプラン、プランBが出てこなかった。考えていなかったとしか思えない。うがった見方する人もいて、元々、PCR検査をするだけのキャパシティがもうこの国にはない、と。それより、一挙に広めるだけの政治的な力も日本にも安倍にもない、と。できることはクラスター対策しかないのでそれを言っていたという説もあるが、それも非科学的な発想。

マスコミの劣化も大事。毎日、感染者数が何名でしたとか言ってる。これはパーフェクトに完全にナンセンスで、まったく意味がない。検査してないから。

グラフを見ればわかるんだけど、検査数と感染者数は実は相関している。だから検査が多い日は感染者がいっぱい出てくるわけ。検査が少なくなると、感染者が少なくなる。バカげてると思わないか。そうではなくて、もう捕捉できない人がいっぱい広がっているから、その感染者数の数をいくら言ってもダメで、どれだけどういう方法で検査した結果、この結果これだけ、分母はこれだけ、分母の意味はこういう検査の結果の分母、その結果、これだけ感染者が生まれたということを言わないとダメ。

他方で、全数PCRすればいんだというPCR全数検査厨がいうのもいる。これも思考停止。日本にそれをする力はない。元々、2009年の新型インフルエンザ禍のときに、要は感染症専門の政府の独立機関を作らなかった。CDCを作らなかったという問題がある。だから、できない。

できないとしても、できることがある。それは疫学調査であって、ゾーンを設定してランダムサンプリングがいいが、PCR検査が十分な数できないのであれば、ゾーンを設定して、東京の都市部では、大阪の都市部では、あるいはそれぞれの郊外では、地方都市ではその郊外ではとゾーンを設定して無作為で調べて、感染率と抗体を持っている割合をはじき出す必要がある。

ただ、多くの人も言っているが、抗体を持っているからといって免疫があるとは限らない。中立的な抗体、悪さをする抗体もあるので簡単には言えないが、ただ、感染した人がどれだけいたかということの過去の履歴の証明になるという部分があるので、抗体をすでに持っている人をカウントするのは大事。それで初めて、全人口に対するゾーンごと、地域ごとの感染率が出てくる。

何度も言うが、マスコミが毎日天気予報のように今日の感染者数はってバカ丸出し。いい加減にやめてほしい。全く意味がない。分母がわからない、分母の意味がまったく規定されていないときに、なんで感染者数を言うのか。天気予報みたいに一喜一憂するその国民も知的でもない。


■青木
そういう意味で言うと、期せずしてそれしか報じるものがないってこともあるんだろうけれど、発表されると大本営発表のときように右から左に垂れ流し、その数字で一喜一憂して勝った勝った、負けた負けたみたいな状況になっている。


■宮台
それがマスメディアの劣化。
その感染者数をただ報じていて、その意味を言わない、解説をしないというところ。それを言わないことで、あたかも感染者数が減ったら、いい方向に向かっているかのような錯覚を起こさせているこのメディアの罪は非常に重い。罪は重い以前に、あまりにも劣化している。この劣化が安倍の劣化、政権の劣化と同じ。


■青木
クラスター対策班の続きをもう少し聞きたいが、当初は新型コロナ対策とかMARSとかの対策をちゃんとしなかったので、日本にはひょっとしたらPCR検査の準備ができていなかったから、限界があるから、クラスター対策というものに注力せざるを得なかったところが多少あったとしても、プランBを作っておくべきじゃなかったか、という話をされた。


■宮台
当然。


■青木
このプランBというものを現実的には検査体制を増やすことは政治の役割である。科学者としてクラスター対策班が出してダメだったのか、そもそも出さなかったのか、どっちにしてもダメなんだが、科学者として、やっぱりこうすべきとを言わなかったとすると、やっぱり科学者の劣化なのか。


■宮台
科学者はそもそも日本ではかなり劣化している。審議会、なんとか対策班、なんとか委員会とかに呼ばれることだけでも名誉だと考える学者たちはたくさんいる。日本では例えば審議会の委員を2回やると勲章をもらえるという慣例があったりもする。そういう背景もあるかもしれない。全体として、政権のケツを舐めがちで、実際にそういう人間ばかりを厚生労働省が、あるいは官僚側が人選をしてくる事実もある。

これは福一原発事件の爆発の後の様々な審議会や委員会の人選を見ていてもわかる。さらに、そういう風にして人選された委員会の中では、座長、副座長の言っていることに異を唱えることはどうも日本では勇気がいることらしい。なので、終わってから、終わってからというのは後の祭になってから、37.5度は勘違いであるとか、元々、日本にはキャパシティがなかったのでクラスター対策しかとれなかった。選択肢があってクラスター対策というのをいろいろなutility(効用)を考えて選んだのではなくて、それしかできることがなかったという言い訳がクラスター対策班の先生方の中から出てきている。だったらそれを最初からdiscloseするべきだろう。つまり、はっきり言うべきだろう。

日本には選択肢がないので、だからこれしかできないから、それをやると言うべきだろう。ところが、日本人の大半が安心厨だってことを前提にして、それを言わないで黙っていて、いざとなったら「いや、あのときは本当は分かっていたんだ」と言い出すのは卑怯。

そうではなく、もしプランBを期待するのであれば、今それしかできないと別のことができるようにする必要がある。別のことでいろいろある。PCR検査を増やすこともある。増やせないのであれば、疫学的な調査のための体制を整えることでもあるかもしれない。

さらに言えば、できないことがある、これだけたくさんあるので、クラスター対策をやっていることであればその間に全力で中国のように病床をめちゃめちゃ増やすことを権力的にでもやるべきだった。そうしたこともやらなかった。

さらに、これは非常に重大な問題だけど、休業要請しかできなかった、だから効果がなかった、そうではない。実際、リサーチしてみればいい。8割手当してくれたら、いつでも休んでやるよという自営業者ばかり。なので、とにかく休業すれば8割の補償をするといったやり方をすれば休業要請でも十分に効く。それをやらなかった。

補償ではなくて、もちろん無償の貸付でもいい。災害のときの無償の貸付はそのように為されてきたし、その場合は財務状況によっては踏み倒しもOKなわけ。そういう貸付を行う、と。

とにかく、すぐにキャッシュが手元に渡るようにするという風にすれば、要請でも十分に人々は従う。ところが、それをすり替えて、日本には憲法上の制約があるから、緊急事態措置が生ぬるいものにならざるを得ないとか言う輩が続々と虫のように湧いてくる。


■青木
これは科学者の世界だけにとどまらないだろうが、官僚もそうだしジャーナリズム、メディア業界もそうなのだが、要するに現状をきちんと認識して、認識したものとしてきちんと責任をもってそれをdiscloseして、今はこうしかできないけども、将来的にはこうすべきだけれども、現在はリスクを背負いながらもこうしますよということが、きちんと言える官僚であり科学者でありジャーナリストでありというのが、学者もそうだが少ないということ。そこに尽きる感じがする。


■宮台
そこに尽きる。
相対的には、大阪府の吉村知事がロックダウンの出口戦略として何日間、感染者がこれ以下であればロックダウンを段階的に解除すると言った。それはいいが、さっき言ったように感染者数に意味がない。何を検査しているのかわからないから、全く意味がない。

そうではなくて、別の意味のある指標を出さなければいけない。それは感染死者かもしれない。ただ、この場合も、感染死者がパーフェクトにカウント、つまり、おざなりに除け者にされている数えられていないものがないということをもっともらしく説明しないといけない。とにかく納得できるデータをベースにした出口戦略じゃないとダメ。

でも、もちろん全数検査なんかできないから、そんなものは全く望まないけれど、疫学的な統計リサーチがないので、どのゾーンにどれだけ感染が進んでいるのかがわからない。わからない状況で出口戦略もなにもないだろう。実際にはきちんとしたリサーチをしていない。だから、出口戦略の立てようがなく、無理に立てれば必ず第二波、第三波のぶり返し、それが来るだろうということ。


■青木
これについて、宮台先生は社会学者だがどう考えるべきか。つまり、韓国などもそうだったが、少し自粛を緩めれば感染がわっと広がる、と。これを抑え込めば、当然多少は抑え込められる、と。実態はよくわからないが、これの繰り返しだと、多分、社会も経済ももたないのではないか。


■宮台
従来のありかたではもたない。


■青木
その方式ではなく、世界中でその方式を取れず試してはいるが、将来的には別の方式を探していかないととても持たないんじゃないかと思う。


■宮台
その通り。
でも、そこから実は先が大問題だと言える。最悪の場合、コロナウイルスはまともに抗体、免疫ができない可能性がある。できても半年、長くて一年という可能性がある。インフルエンザの免疫、ワクチンを開発したとしてもインフルエンザは半年しか免疫はもたない。そういうものになる可能性がある。しかも、コロナはインフルエンザと同じような速度、少し遅い速度で変異していると考えられるので、ワクチンを打っても今年は外れたということも起こるだろう。

他にもいろんな理由があって、コロナを封じ込めることがもしかするとできない可能性がとても高い
というふうに免疫学の専門家たちが言っている。世界中で。そうすると、世界のどこかで必ずどこかの都市がロックダウンしているような状況が、このあとずっと、それこそ何十年、場合によってはそれ以上百年くらい続いたりする可能性もある。それと両立する社会はどういう社会なんだろうかと考えなければいけない。さらにロックダウンというやり方も最早できない。経済活動が止まってしまうので。

そうすると、モニタリングが必要になる。いわゆる垂直、中国でやっているようなバーティカルみたいな垂直の生体監視を行うのか。それともヨーロッパが推奨しているようなGAFA、FANGAが推奨しているような要するにデータをシェアして市民がシェアしたデータをベースにして、お互いが懸命に振る舞うことを信頼するような極端なケースはスウェーデンのやり方だったわけだが、その両方のやり方、垂直か水平かという戦い、対立になりつつある。

そうすると、ユヴァル・ノア・ハラリやマルクス・ガブリエルが言っているように、どうも勝ち目は垂直の生体監視にある。なぜと言うと、我々の社会は程度の差はあれ民主主義の前提を壊しつつある。市民がお互いを信用していない。

日本なんか典型だが、隙きあらばフリーライダー、タダ乗り野郎になろうとか、隙きあらば自分だけ得をする方向に抜け駆けしようとする人間たちがたくさんいるような状況では、実は民主制は成り立たないけど、同じ理由で、水平のデータシェアリングによる賢明な振る舞いを期待し合うことで社会を保たれることも多分なくなる。そうすると、コロナのおかげで多くの国がどんどん中国化していく可能性がある。そのことにどう抗えていけるのかということを賢明な人間が提案、提示している。

これは日本人が問える問題じゃない。日本人はそのはるか手前。小学生に入る前の保育園に入る前のよちよち歩きの状態。12才どころか、足腰立たないような状態で問題に対処している。

その状態では世界スケールの非常に重大な問題に取り組むような段階じゃない。ただし、今後、日本がどんどん落ちていくだろうということを考えると、今後、僕たちは世界がどうなっていくのかってことを考えなければダメ。

アメリカについていけば安心だということはどうも終わった。ヘゲモニーがアメリカから中国に確実に移っていく。そのときに日本はアメリカについていかないとして、自立する力は元々ないので、誰と連携していくのか、どこで連携していくのかということも考えなければいけない。

そのとき、中国は大丈夫なのか、中国の中の習近平体制は一枚岩ではなくて、ものすごい軋轢を生みながら今の状態を続けているわけだけど、日本人はそういうことを全然知らない。そうした状態で、アメリカだ、中国だとか言っているのは、10年、20年早い感じがする。

それよりも、安心厨がたくさんいてウヨ豚がたくさんいて、基本的に「政府の言うことに逆らうのかー」みたいに自分で何のデータも取っていない、考えてもいない思考停止の連中たちがワーワー騒いで、ツイッター上で「いや、あれは盛ってるんだー」「あれはBotなんだー」とか、思い付きをギャーギャー言っているという恥ずかしい状況。これが日本。That's Japan.


■青木
当面はこの安心厨とウヨ豚と宮台さんがおっしゃる連中をとりあえずこれは症状なんだろうからしょうがないが退治しなくちゃいけないだろうな、と。本当は他にも新住民と自粛警察とか実は宮台さんに伺いたかったことがたくさんあるが、これはまた次回にいろいろお話を伺わせてほしい。
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