2021年03月02日(火) 月イチ宮台

2021年03月02日(火)
JAM The World 月イチ宮台
青木理、宮台真司

20190331_001s


菅総理長男の接待問題、緊急事態宣言も含めて今月も非常に重要な話が出たので、以下、レポートを引用する。今回は「すべての生は死を前提に存在する」という生と死について深く言及している。


■青木
 宮台さんに質問がたくさん来ている。
「ビデオニュース・ドットコムの神保哲生さんがツイッターで「そもそも、山田真貴子氏に批判の矛先を向けていること自体が作為的に見える。総務省本体は放送免許の問題に目が向かないようにしているのではないか。」と指摘しているが、どう思われているか。」


■宮台
 まったく正しい。神保さんの仰る通り。


■青木
 もう一通ある。
「菅総理の長男らが総務官僚を接待しなければならなかったのは、総務省が放送の許認可権を握っているからか。政府が放送局の許認可権を持ってる国なんて先進国では日本だけだそう。もう最近、日本は先進国ではないという気もする。日本が先進国だと思ってるのは日本人だけかもしれない。」


■宮台
 はい。全くその通りで、日本が先進国だと思うのは頭の悪い日本人だけ。


■青木
 東北新社による、菅首相の長男が勤めている会社による総務官僚への接待というのが今、大きな問題になっているが、どんな風に考えているか。


■宮台
 東北新社が、衛星事業に、参入する時のコスト、これを下げてもらうために行政に便宜を図ってもらう。そのために、東北新社側、菅ジュニア側から総務官僚を接待し、それによって実際に衛星事業に参入に際するコストが下がったということがあるという、そういうことなので本当に権益まみれ。あるいは、権益がある人間たちが接待を受けているのだから、これはもう収賄。


■青木
 90年代くらいに例の大蔵接待汚職があって、国家公務員倫理法や倫理規定ができても相も変わらず官僚たちはこういうことをしているのか。それとも、やっぱり首相、首相の長男だったからこうなったのか。


■宮台
 僕の知る限り、総務省を除いては非常に倫理的に厳格化した状態が続いている。総務省というのは菅利権でもあるし、基本的に権力に最も近いところであるが故に好き勝手やった、と。そのとばっちりを受けた菅、ざまあみろという話。


■青木
 つまり、権力にすり寄っていれば守ってもらえるというような、最近の政治と官僚の歪んだ関係がやっぱりここら辺に現れているということか。


■宮台
 現れている。まさに、自分のポジションさえ安泰であれば、倫理も規則もへったくれもないというのが総務省の上層にいる人たちで、総務省の官僚全体がそうだと思われるのはやっぱり僕も困る。基本的に権力に近いところにいる人間たちがこういうクズぶりを晒したということ。これがまさに日本の劣等性そのものであるということ。


■青木
 これもそうなのだが、もう一個。緊急事態宣言の解除をするか否かで関西圏などはご存知の通りもうすでに解除されたが、一都三県がどうなるのかという辺りも一つの大きな注目点になっている。どう御覧になっているか。


■宮台
 皆さん、流れを思い出してほしいのだが、日本のワクチン接種がもうほとんどの国で12月、1月に始まっているのに、まだ始まっていないのは何故か。ほとんど始まっていないのは、それはGoToをやっていたから。GoToをやっていたので、それに矛盾する政策が取れなかったということで、ワクチンに関する様々な準備が遅れた。だからこれは菅のせい。

 まず、そのことをよく押さえておいてほしい、あともう一つ、先進国だけじゃなくてすべての国を含めて、クラスター対策をやっているのは日本だけだということも考えてほしい。当たり前だが、クラスター対策なんかでは全容はつかめるはずがない。実際に保健所は人が足りないということで、感染者がいたらどこでマスクを外していたかとなる。そうすると家以外では飲食店となり、そのときに誰がまわりに居たかとなる。その人に保健所が電話して「そのとき、マスクしていたか」「してねーよ、飯食ってんだから」という、そういう問題。

 そういう意味で言うと、保険所がどれだけ検査したのか、どれだけクラスターを追尾したのかということによって、新規感染者は変わるということがある。しかし、それとは別問題として、これヨーロッパでもアメリカでも話題になっていることなのだが、ロックダウン、あるいは、外出規制によって、感染者が減ったのかどうかについてはたくさんの感染症の学者さんたちが疑義を呈している。

 それは何故かというと、新型コロナ以外の4種のコロナ風邪の、季節性の、簡単に言えば、移り変わりというのがある。そうすると12月から2月にかけてまずピークがあり、そのあとは8月に緩いピークがある、と。たまたま去年、諸外国のロックダウンがそれに重なっていたので、ロックダウンが効果があったように見えているが、統計的に分析するとロックダウンにはほとんど効果がなかった可能性があると言う人もかなりいて、実はそれがヨーロッパで外出規制に対して抗議する若者たちの暴動が起こっている理由。日本ではそういうことが全然、報じられていない。それは何故かというと、やっぱりテレビの影響力が強いがテレビが事実上デタラメ。それが背後にあるということ。


■青木
 しかし、テレビと言われると、僕も若干隅っこにいるので胸が痛いところもある。ただ、変異株なんかも出てきているわけで、ロックダウンにどこまで効果があったのかという議論ももちろんあるし、それも分析しなくてはいけないが、せっかく減ってきてるわけだから、そのせいかどうか別として、ここで一歩踏み込んで広範な検査などをしなくてはいけないと思う。しかし、、そういうことをやる気配がまったくない。


■宮台
 変異株は非常に重要で、もしかするとワクチンの効きとか、あるいはワクチン以前の問題として感染力がどれだけあるのか、症状がどれだ強いのか変わる可能性がある。ところが、日本はPCR全数調査に向けて動いていないので、すごく粗いサンプリングをして、その中にどれだけ新型ウイルス、変異ウイルスがいるのかということを探してるだけ。なので、変異ウイルスの拡がりについては実態は全く分かっていないということ。


■青木
 全然話が変わるが、話題にしたいテーマがあって、宮台さんが話をしていた「すべての生は死を前提に存在する」というものすごく人間の根源的なテーマ。大人になるほどやっぱり死ぬのが怖いということを思う、と。もちろん僕も思うし、皆さんもそう思うと思うし、皆さんの中にも死というものが関わるような病気で闘病されている方もいるかもしれない。あるいは、子供にお父さん死ぬとどうなるのと聞かれて、答えに困っているような人もいるかもしれない。

 恐らく時代がどんなに変わっても、この人間にとって死というのは永遠のテーマだと思うが、この「すべての生は死を前提に存在する」というエッセンスも含めて、この話をしたい。


■宮台
 最も言いたかったことは、僕の人生62年の経験から言うと、死を怖がる人間にはすごくエゴセントリック、つまり利己的な人間が多いという経験がある。何故なんだろうかということを、結構若い頃から考えてきてはいる。それは、つまり、死を恐れざるを得ないぐらい、分断され孤立している状態にあるんだということがまずあると思う。共同体の中に生きていれば、人は死んでいるから生まれてくる、死と生が表裏一体だということはもう当たり前のようにして沁みついているはず。それが沁みついていないというのはまずおかしいということ。あともう一つ、自分の死を恐れる人間は人類がまるで永続するかのような幻想に陥っている。これはトンマ。

 実は、地球の歴史についてはある程度仮説が固まりつつある。単細胞生物を含めたすべての生物が地球から一切居なくなるのが約10億年後。簡単に言うと、ちょうど6億年前からマントルが、つまり、プレートテクトニクスが水を引き込むようになっている。どんどん引き込んでいくので、この水がベアリングとなって、移動するプレートの移動がまず止まる。プレートの移動が止まると、マントル対流が止まる。マントル対流が止まると地磁気が失われる。そうすると、大気と水が引きはがされる。そうすると、灼熱地獄になって、残念だがすべての生物は死滅する。

 ところで、多種多様な生物が生まれるようになったのというのは5.4億年前のカンブリア紀、カンブリア紀の大爆発と言われる事態によって起こった。あるいは、その直前にエディアカラ生物群と言うが、初めて手のひらぐらい、30センチ四方の生物が生まれたのはそのほんのちょっと前。そこから考えると、5億年のさらに2倍のところですべて滅びるということで言うと、事実上、僕たちが生き物として認識しているもの、多細胞生物が出てきてからの歴史を見ると、もうすでに3分の1が経過していて残りの3分の2ですべて死滅する。

 人類は外に脱出するだろうという人がいるのだが、脱出とすると思う。しかし、残念ながら宇宙も滅びる。まず、今すでに宇宙が滅びつつあるということから言うと、地球のような生物を育むことができる惑星を持つことができる恒星というのは、L型G型恒星と言って中型の恒星。例えば、太陽がまさにF型なのだが、100億年の寿命を持つ。しかし、今この時点で言うと、太陽が生まれたのというのは46億年前。46億年前からと比較すると、もうすでに残念ながら10分の1しか太陽のような星が生まれなくなっていて、今後もどんどん生まれなくなるので、宇宙は生命を育めなくなる。

 さらに、宇宙は突然、60億年前から加速膨張というのを始めた。単に膨張するのではなく、膨張の速度が加速している。その結果、従来の熱的死を迎えて全てスープになるという議論はちょっと楽天的で、今、最も有力な説は「ビックリップ」と言われるもので、220億年後には原子、あるいは、量子のレベルまで含めてバラバラになるとほぼわかってきたということ。138億年前にビッグバンで宇宙始まったとされているわけだが、その2倍経たないうちに宇宙が終わるということ。


■青木
 138億年前にビッグバンが起きて宇宙が始まり、60億年くらい前からは加速膨張というのを始めた、と。220億年は果てしない年月だが、宇宙も最新のビッグリップ理論によればなくなるだろう、と。


■宮台
 そう。

 僕は子どもたち三人いるのだが、テレビやパソコンでそういう宇宙、地球の寿命について論じているものたくさんある。大体、小学校に入るぐらいになると、地球も終わるし宇宙も終わるんだという番組を見せる。何故かという風に思うかもしれないのだが、それは単に個人の死に浅ましくこだわるという態度を捨てて欲しいということが一つ。あともう一つは、どうせ終わるものが何故存在するのか。例えば、この宇宙というのは時空のことを意味しているのだが、宇宙が終わるというのは時間と空間が消えるということ。何故消えることが確実であるものが存在してるのだろう、何故その時空間に地球があり、我々がいるのだろうということを考えてみると、やっぱり奇跡という感覚が浮かんでくる。僕がクリスチャンであるということもあるが、この奇跡には何か理由がある、どんな理由があるんだろうという想像してほしいという風に、まず子どもたちにバトンを渡すということがある。


■青木
 要するに、人間の生というものはもちろんだが、地球にも、それから太陽系にも、あるいは持てば宇宙そのものにも、要するに寿命がある、と。


■宮台
 それは確実。


■青木
 ただ、その前提で個人の死に浅ましくこだわるのはやめるべきだという話はわかるのだが、それは別に生命というものを軽んじるということではなく、むしろこの奇跡というものの大切さみたいなものを噛み締めろということか。


■宮台
 そういうことになる。実は、我々とって死は必要。まず、死がなければ進化はない。さらに、地球の持続可能性を考えても、人が死んでくなくれないと新しく生まれてこられない。さらに、一人だけ、自分だけ、長寿を望むとか言う人がいるが、人が長寿になればなるほど地球の人口はどうしても増えてしまうわけ。僕に言わせると、「長寿を望む」・・・これも程度問題なのだが、例えば、人々が90で死ぬとすると、20~30年中にはお金を払えば140歳ぐらいまで生きるだろうという風な説もある。しかし、そういう人間は明らかに僕はエゴセントリックだと思う。エゴイスティックだという風に思う。基本、死んでくれるから生まれる。

 あともう一つ、考えてほしいことは「死は僕たちの日常の前提」。僕が子どもたちに伝えるのは、例えば僕は妻と出会って3人の子どもができた、と。しかし、これは誰かが死んだから。誰かが死んでいなければ、その人が妻と出会って、僕と結婚しなかったかもしれない。あるいは、誰かが死んでいなければ、僕がその人と出会って、妻と結婚していなかった可能性もある。さらに、それだけではなく、妻は二十歳以上若いが、僕が今死ねばまだ妻は若いから、多分新しい出会いで新しい家族を作ることができる。そうしたら、それがすごく幸せな家族になるかもしれない。

 そういうことを考えると、死はまさに僕たちの日常そのものの前提になっている。死にたくないとか言ってる人間は一体何を見ているんだということ。もちろん、地球、宇宙を見てないだけではなくて、僕たちの日常が何によって支えられてるのか、まさに死によって支えられているということをまったくわかっていないということ。


■青木
 人間の生命と同様、宇宙も地球も寿命があるということが究極的には言えるということになってくると、宗教というものをどうとらえるべきなのか。
宮台さんはクリスチャンで宗教的価値は今でも持ってるわけで、宗教というものをどういう風にとらえていくべきか。もう一つ、近代社会というのが本来は日常的にあるべき死をクレンジングして見せない、隠す、触らないというような方向に進んできていることが、死というものに対する恐怖心とか、逆に言えば浅ましさみたいなものにつながっているのかなという気もする。


■宮台
 まず、自分が死ぬこととは別に親しい人が死ぬことはやっぱりとても悲しい。かなり古い時代から、もしかすると火を使うようになった頃からとしたら200万年の歴史があることになるが、「死んだ人はどこに行くのか」という問いが生まれた。それで死んだ人が行く場所として、古い社会は水平に考えるので、あの山の向こう側とかあの海の向こう側という風に最初考えるようになったということはわかっている。それが一つの宗教のルーツ、紀元だという風に考えることができる。したがって、どんな宗教でも、必ず「死」について明示的に言及する。

 死について意識するためには宗教はすごく役に立つという風に言うことができる。しかし、僕は個人的には宗教を死の悲しみについて解説する処方箋として子供に渡すということはしない方がいいと思っている。それは昔と違う点があって、昔は共同体社会があると誰もが同じ宗教的な共通前提の上にあった。しかし、今は違う。人それぞれ全く違った前提の中で生きている。そうすると、子供が、例えば小さい時に両親から宗教を受け渡されて、ある宗教を信じるようになり、宗教の内側で死の問題を解決したつもりになったとすれば、成人するまで、あるいは、成人して以降に宗教を捨てる可能性がある。そのことをよく考えるべきで、大人になって神様なんかいないという風な考え方に子供が変わったとき、そのことについて責任が取れるような態度をとるべきだというのが僕の考え。

 もちろん、僕は無神論者ではなくて、クリスチャンなのだが、クリスチャニティーを子供押し付けるということは一切せず、今の地球物理あるいは宇宙物理の枠の中で最も確からしいとされている仮説を話し、あるいは、実際にそれについて作られた数多くの動画を観てもらう、と。例えば、恐竜滅びていないと、僕達はここにいられないわけだが、これは御存知のようにメキシコ湾あたりに直径10キロの巨大な隕石が降ったことによって生じた大絶滅の結果。実は大絶滅は良いこと。何故かというと大絶滅によって生じた生態学的なニッチで、進化の大爆発が生じるということによって今日の生態系があるから。少なくとも6回の大絶滅があったということは今完全な定説になっているということ。だから、そういうことを伝える。

 だから、例えば人類が絶滅したところで、別に何かそんなにあたふた考えるべきことではなくて、生態学的なニッチにまた進化の大爆発が生じる。何故かというと、人間が最も地球の様々な環境的な資源をオキュパイしてきたことがあるので、人間がいなくなれば様々な僕たちが知らない現象がそのあと生じることはまちがいない。もちろん地球は10億年すれば生命はいなくなってしまうが、どうせ人間の寿命なんて、人類の寿命なんておそらく数百年。おそらく1000年もないかもしれないわけ。しかし、だから良い。


■青木
 宗教の役割というのはもちろん死の悲しみというものを乗り越えるというなこともあったと思うが、ある意味で死に対する恐怖みたいなものを乗り越えるためのものでもあったり、それが宗教というものが人間のある種の道徳だったりとか倫理みたいなものにも結び付いていくことで、お天道様が見てるからみたいな単純な話で言えば悪いことをしてはいけないというようなことがあった。

 ところが、すべてのものに寿命はあるのだが、地球にも宇宙にもあるというような考え方というのは、
確かに死への恐怖というものは多少和らぐかもしれないが、人の生き様みたいなものが刹那的になりかねない気がする。


■宮台
 そんなことはない。それは生き方が間違っているから。

 元々、死は共同体のものだった。だから、人を看取ったし、自分も看取られた。しかし、日本人の多くが生き方を間違っているので、在宅で死ぬ人のうち行政統計では5人に1人、特殊清掃業者によると4人に1人以上は孤独死だという風な話になっている。世界でこのような孤独死が話題になっている国、場合によっては生じている国というのは恐らく日本だけ。つまり、それは人を頼りにする代わりに、市場、マーケットと行政ばかり頼りにして、何かというと国は何やってるんだ、経済政策はどうなってるんだとか、ぎゃあこら、ぎゃあこら叫んでいる、そういう人間が次々に孤独死していく。

 だから、基本、孤独死は嫌だから絆を作れという風に僕は言いたいのではない。そういうものは絆ではない。それこそまさに利己主義そのものなのだが、そうではなくて、正しい生き方をしていれば死は怖くない。自分が看取ったように、自分も看取られる、そういう風にして人類は何万年も何十万年もやってきている。誰もが恐れずにそれを受けて受け入れてきたことを自分だけ恐れているということがもしあるとすれば、それは生き方が間違っている。


■青木
 そういう意味で言うと、死というものが孤独死というケースも非常に増えているのだろうが、ある意味で自宅とか家族とかと一緒にではなく病院で亡くなるということ、あるいは、葬儀とかというものも昔は地域の共同でみんなで送り出した葬儀が葬祭業者みたいなところに委ねられて資本の論理の中に巻き込まれていく、と。

 僕らメディアも死というものを隠そう隠そうとしている災害のとき、戦争のときとかに、これはショックを受ける人がいるからという理由はあるのだが、死というものが見えなくさせられていくということが死というものに対する現実感の無さ、あるいは、死というものなんかを遠ざけていくというようなところには繋がっているのではないだろうか。


■宮台
 まさにそう。

 クレンジングは良くない。絶えず死を目撃できる状況、これがやっぱり良い。僕は父が今ものすごい弱っていて施設にいるのだが、わかりやすく言えば、老衰が始まりかけているという状況。昨日も病院に行った。誤診があったりしたので病院を変えてもらうとかということをいろいろして、老人だけがいる病院とかも最近見ている。そうすると、この人たち家族いるのかなとか、今コロナだから家族来れないということになってるのだが、それがどんなに辛いだろうなという風にやっぱり思う。

 そういう終末期を迎えた人たちをたくさん見るということがあると、やっぱりいろんなことを考える。僕もこういう風にして死ぬのかな、もっと別の死に方がいいのかな、とやっぱり考える。だから、絶えず死を目撃できる環境が必要なので、そこからするとクレンジングというのはもう絶対にダメなこと。


■青木
 生命というのは、人間ももちろんだが、すべての生命、地球にも、太陽系にも、宇宙にも、要するにいずれ寿命が来て、我々はすべていずれは消え去る、と。だからこそ、この話をたくさんの方がいろんなところで聞いてくれているという、この奇跡を大切にかみしめなくてはいけないということか。


■宮台
 ホントにそう。

 劇場版「鬼滅の刃」で、煉獄杏寿郎が「人はいつか死ぬからこそ儚く美しい存在だ」という風なセリフを言う。子どもたちがたくさんこれを見たというのはすごい良いこと。自分が今こうしていること、誰かと出会っているということも本当に奇跡。どうせ終わるのに「何故、存在するのか」ということを考えるだけで、誰もがわかること。だからどうせ終わるんだ、ということをはっきり分かるようなそういう環境の中に、子供たちが育ち上がるということがとても重要。クレンジングされた環境で育った大人たちだけがヘタレになっていくんだという風に断言していいと思う。

2021年02月02日(火) 月イチ宮台

2021年02月02日(火)
JAM The World 月イチ宮台
青木理、宮台真司

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コロナ禍の緊急事態宣言、地球平面説、陰謀論も含めて今月も非常に重要な話が出たので、以下、レポートを引用する。まさかの地球平面説や陰謀論が出てきた背景は何か、現在置かれている状況をここまで読み取らなければならない。


■青木
今、まさに菅首相が緊急事態宣言の延長を説明する記者会見を官邸で開いている。緊急宣言事態の延長は予測されたのだが、どんな感想を持ったか。


■宮台
緊急事態で、それ以前からでも飲食店を中心として営業自粛要請が出されてきていたということに非常に問題を感じる。

全世界広しと言えども今いわゆるクラスター対策をやっているのは日本だけで、他の国は全数全部PCRをするという方向でやっている。その理由は感染者の大半が無症候で、しかも症状が出る1日前に大量のウィルスを放出するということがもうすでにわかっているから。したがって、感染者が出てからクラスターを追うということをやるのは馬鹿げている。

次にもっと馬鹿げているのが結局、厚生省利権というかネットワークの保健所がPCRを基本的に検査していくということになるわけだが、残念なことに人手が足りていないということもあって、例えば、感染者が出てマスクを外していたのはどこかというと家庭と飲食店しかなく、その場にいた人にマスクはしていたかというと飯食っているのでしているわけないということで、濃厚接触者という風にして辿られて行くということ。

感染症学者の中には御存知のように日本には今、東京近辺だと総人口の1%が感染しているだろうと言う人もいる。そうすると、10万人ということ。

新規感染者が減っているみたいな天気予報よろしく報じているのもあって、非常に愉快。食べ物屋さんに営業自粛要請をして今度は罰則さえつけるとかという話になっているわけだから、当然、食べ物屋に行く人はある種居なくなり、PCR検査の日本的な方式をやっていれば当たり前だけど飲食店から辿っていたわけで、そこがなくなれば減るの当たり前。だから、それもお笑い。

あともう一つ、一律、一日6万円という営業補償も結構面白い。例えば、イギリスでは営業利益の8割補償している。ドイツは失った営業利益の3分の2の補償だからほぼ全面補償。フランスはちょっと前まで6割だったが、今は7割補償になっている。このぐらい補償されれば、店は潰れないわけ。日本では儲かってる店も儲かってない店も一律6万円ということになるわけだから、これは理不尽で不可解。しかも、それなのに罰則があるというから尚更不可解。このような不合理な法が平気で施行されているという国というのは非常に珍しいので、単にお人好しの順法意識を持つべきではないという思っている。


■青木
それこそ、もうちょっと反乱を起こすというか。


■宮台
ヨーロッパみたいに。


■青木
話に出た2つのうち、クラスター対策という話はもう耳にタコができるほど聞いたが、このクラスター対策というのはもう事実上できなくなってきている。


■宮台
基本的にもう7割以上がクラスター追尾で見つからない人たちが感染しているわけだから、もう完全に無効。


■青木
つまり、何らかの対策を打つときにマスクしてないところはどこだったのかとなると「飲食店」ということで、飲食店が対策という名のターゲット、格好の標的にされてしまっている。


■宮台
これまた安倍以来のやってる感そのもの。何もやってることになってないが。


■青木
後者の話で言うと、やってる感の演出のターゲットにしたんだったらそれなりの補償すればいいのに、一律6万円というヨーロッパ基準なんかに比べたらわけのわからないことやっている。


■宮台
わけがわからない。だから、一日6万円の営業利益無いところでは当然喜んで店を閉めている。しかし、一日何十万も売上、営業利益があるところはどうするのか。


■青木
今の政府のコロナ対策のどうしょうもなさみたいなのもあるが、この一ヶ月ということで言うとアメリカでバイデン政権、大統領の就任式があって、アメリカで何が起きているか、起こってるかというと「地球平面説」というのを唱える運動がアメリカで大盛況だ、と。


■宮台
そう、他の国にも広がりつつある。


■青木
これはどういうことなのか。地球平面説ということはいわゆる天動説ということか。


■宮台
天動説ならまだしも、プラトンの宇宙モデルまで戻る。

天動説というのはバスコダガマとかコロンブスなどによって地球は丸いということが実証されたという前提に立って、その上で地球が中心で太陽や月や星がその周りを回っているというのが天動説だが、プラトンの宇宙モデルというのは円盤型のお水が入ったお盆があって縁があってそこから先は滝みたいな、そういうイメージ。それ自体も滑稽なモデルだと言えるが、Netflixで「ビハインド・ザ・カーブ」を見るとよくわかる通り、結構、深い問題を示している。

まず第一に、僕たちが知っている真理のほとんどは自分で体験していないということを改めてよく確認できた。ただ「地球が丸い」、あるいは「水がH2Oだ」、あるいは「量子はさらにクォークで出てきている」とか云々かんぬん、ほとんど自分で体験したことではないものを真理だと考えている。宗教を除くと、何十億人という単位の人が自分で体験したことのない何かを信じるというのは実は19世紀以降のたった200年しかないこと。

これは産業革命の後期に都市化が進んで知らない人と一緒に住むようになり、暮らすようになって、知らない人が運転する乗り物に乗ったり、知らない人が作った料理を食べたり、知らない人に喉を晒して床屋で髭を剃ってもらったりみたいなことが出てきたことが背景なのだが、ちょうどその頃から科学も、いわゆる理論的、実証的、分析的な科学としてすごく発達した。そういうこともあって、僕たちはこの200年くらいは知らない人が提唱していることを真実だと思っている。

しかも、これは知らない人の体験と言うこともできなくて、例えば、皆さん多分御存知だと思うが、ケプラーとガリレオが17世紀の半ば、ちょうど30年戦争の時期に科学的な理論としての地動説というのを発表して、ケプラーが楕円軌道というのを思いついて数式を書いたところ、ほとんど当時の精度の観測結果と100%一致するということがわかった。それ以降、自分で体験していなくても、より単純なモデルで説明できるものが真理であるということになって、それが今、僕たちが科学の真理だと思っている理由。


■青木
つまり、言い方を変えると、もちろん僕らは地球が丸いとかというのは宇宙飛行士でもない限り直接見たりとかできないが、その先人たちの研究であったり、あるいは様々な知見だったり、あるいは書物も使ったりとか、いろいろな方法で学んでいく。それがある種の知性、知識だが、それを否定するということになる。


■宮台
いわゆる一般の陰謀説よりも広くて、地球平面説の人はもちろんアポロが月に行ったというのもすべて劇映画の演出だと考えるわけだが、それを超えて学校で行われている授業も進化論だけではなくてすべてがインチキなんだという前提に立つというやっぱりすごいことを言っている。これはQアノン現象と共通の基盤があって、陰謀論がなぜこれほど蔓延るのかという背景を分析しないといけない。


■青木
陰謀論あるいは先ほどの地球平面説というのは、あえて言うと反知性主義という従来型の言い方をするのが適切なのかどうかは別として、トランプ政権が生まれた理由というのはいろんな理由があって、中間層が崩壊して本当にラストベルトの労働者たちが困ってしまったからとか、いろんな分析があって、それぞれなりに正しい面はいっぱいあると思うが、トランプ支持者の中に陰謀論者だったり、地球平面説に代表されるような反知性的なものというのはある。これはトランプ現象が生み出したものなのか、それともそれが元々あったからトランプ的なものを生み出したのか。


■宮台
僕がトランプを強く支持しているのはトランプ以前から存在する危機的な非常に重要なシグナルを皆の上に見えるようにしてくれるからということ。だから、トランプ以前から当然存在するわけで、インターネットの日本なら2チャン、今なら5チャン、アメリカの4チャン的なコミュニケーションは真実かどうかということに関係なく、まず敵味方図式で敵が言うことはすべて要するにフェイク、フェイクニュースと断定するという方式になっている、

しかし、インターネットが理由なのかというとそうではなくて、日本を見ていればわかるが、これも日本が80年代から地域が完全に空洞化したせいで、何が危険だ、あれが危険だということでいろんなものが禁止され、公園から遊具は撤去され、いろんなものがロックアウトされていくということが起こる。陰謀説と全く同じ背景があると思っている。

先ほど、反知性主義と言ったが、元々これはアメリカでは肯定的な言葉だった。それはアメリカのイノセンティズム=反知性主義で純粋・無垢ということなのだが、これは世界で初めて誕生した。実はシステム化で、その市場化、あるいは行政官僚制化、あるいは技術化に対抗する運動だったということが重要。

では、どうしてこれが出てきたのかというと、やっぱりアメリカはイギリスよりちょっと遅れて産業革命が急速に進展した結果、従来でもタウンシップというが自治で街を回せなくなる。特に都市部、郊外部ではそうで、そのときにその新しい生活形式が押し付けられていくということに対する対抗としてイノセンティズムというのが出てくるが、そこから実は共和党的な伝統と民主党的な伝統が分かれる。

共和党的な伝統は、要するに人を制限する、つまり、入ってくる奴を留めるということで、これは当然、人種差別と排外主義につながる。民主党的伝統はそうではなくて、新しい産業化が進んだ中でのアメリカン・ウェイ・オブ・ライフを維持するためには再配分が必要だということで、人は制限しないでルールで市場を制限しようというような方向に向かう。

元々、負担を深め遅れたということで、北部というのはもう徹底的な保護貿易主義だった。南部というのは、もちろんこれ差別もしたというところなのだが、綿花を海外に輸出するというためにもう徹底的なグローバリズムだった。だから、民主党というのは元々グローバリズムに近縁だということが実は問題の矛盾のルーツにあって、90年代に入ると民主党はアルゴアの情報ハイウェイ構想に従って、もう一挙にテック化を進めて、ビッグテック(日本ではGAFAと言う)による大量の献金を受けて、その結果、民主党の約束を反故にする。つまり、再配分する政党。

民主党的伝統の一部を反故にして、もう一つの伝統であるグローバリズムの貫徹というところにスロットルを踏み続ける。その結果、困った人、こんなはずじゃなかったという人たちがトランプの方に行くというところに、まず不全感のルーツがあったということ。


■青木
民主党自体が変わってしまったということで、80年代、90年代くらいに民主党自体が相当変質したということか。


■宮台
そう。実はバーニー・サンダースのような人が民主党のグローバル化という方向性についてこれをブレーキかけないと、元々の約束であるところの再配分、あるいは再配分も中心に都市部や郊外で人々の支持を得るということがもうできなくなってしまうということで非常に合理的な議論を展開していたということ。

そのことも重要なのだが、Qアノン、要するにもうトランプは本当は勝ってるのにディープステート=ユダヤと中国、一部ロシアが手を突っ込んでいろいろやっているというこの妄想のルーツも大事で、実は産業革命の時期に遡る。

世界には血に紐付けられた人と土に紐付けられた人がいる。パラフレーズすると、人は良き記憶を自分だけでは保てないので、それを血縁者に結び付けて語り継ぐか、土地に結び付けて語り継ぐかということに分かれる。それがそれぞれ血縁主義の社会と地縁主義の社会なのだが、基本、中国とユダヤ以外は血縁主義的と言われても、結局、地縁的要素がある。

ところが、ユダヤ、中国が徹底的に世界中ネットワークを広げるそういう人たち。理由はユダヤ人はディアスポラ、離散民族。中国人はジェノサイドで、大殺戮にずっと苦しめられてきた、だから財産とか土地を持っていても役に立たないということで、国を超えて流動しながらネットワークを維持して助け合うという風にやるようになった。

特に19世紀に入ると、ロスチャイルドというイギリスのユダヤ大富豪が、基本、国際金融ネットワークを作るという方向に踏み出して、これが19世紀から20世紀になるとアメリカでロックフェラーとかモルガンとかというとこに繋がっていく。彼らは、国にこだわらない。だから、一族の中にいろんな言葉を喋れる人間がいるし、例えば元服のときに政治家になるならこの人を、音楽家になるならこの人を、医者になるならこの人を、という色んなリソースを国を超えてシェアするということをやっている。

彼らの唯一の生き残り戦略が19世紀の産業革命下では国際金融ネットワークだったということ。だから、日本も例えば明治維新以降の近代化はジェイコブ・シフという、ロスチャイルドの血には繋がっていないが、ロスチャイルドの建物に住んでいたという縁の深い人のお金で近代化したことは知られているし、あるいは、それ以降の明治でも三菱はロックフェラーと結び付きを強め、三井はロスチャイルドと結び付きを強めなければ、実は帝国主義の中でのある種の市場拡張競争にまったく手が出せなかったという状況もある。

それは戦後日本も同じ。それが陰謀なのかどうかということをよく考えて欲しい。例えば、ロックフェラーなど、たくさん中国に投資している。それは儲かるから投資している。基本的に同じように明治維新以降の近代化や戦後の再近代化にユダヤ資本の投資がある。それにあずかって僕らは設備投資をして、生産設備をどんどんどんどん拡張してきているわけだが、これも投資する意味があると思うから投資しているということ。

だから、これはまさにマルクスの言う自然過程そのもので、それ以外の選択肢は彼らにはない。


■青木
つまり、そういう歴史的なある種の事実というものをがあって、それに対するQアノンをはじめとするような陰謀論、特にユダヤとかロスチャイルドとかに対する、ロックフェラーとかに対する陰謀論というのは昔から日本でもあり、それがユダヤ差別と結び付いて大問題になったこともあったが、そういう土台の上に起きてるバックラッシュみたいなものが今のこのQアノンをはじめとする陰謀論の源流、伏流水みたいになっているのか。


■宮台
バックラッシュというよりも、もう少し正確に言うと自業自得。

僕らは地縁的な絆を持たないと、共同体、仲間集団を維持できない。アメリカのタウンシップという概念が典型だが、マイケル・サンデルが「デモクラシーズ・ディスコンテント」という本でそのことをかなり詳しく書いている。先ほど言ったように、19世紀になると産業化が進むので、タウンシップ、自治ではやっていけなくなってしまうということが起こる。それ以降、産業化の犠牲になって、土地はどんどん解体されていく。

それは、最近の映画で例えば「ラストブラックマン・イン・サンフラシスコ」、あるいは、「行き止まりの世界に生まれて(Minding the Gap)」で、これはもう如何にアメリカの土が、土地がスカスカで劣化したのかということを散々扱っている。

つまり、我々のような血に紐付けられていない、土に紐付けられないと良き記憶を温存できない。

よく記憶の中には、例えば、いわゆるリベラルのような人とシェアすることが楽しかったという記憶も含まれるし、あるいは、リベラルよりももう少し位置が保守寄りだけれども人にむしろ限らないで色んなそこに森があったとか、ここにこういう風習があったということを含めて良き記憶だという風に思う。実はこれは場所がないと無理である。

その場所を、20世紀、特に日本は当時1980年代以降ものすごい急速にズタズタにさせてきたということで、そうなるとまず寄る辺がなくなって不安になる。しかも、ユダヤや中国は、もう埋め込まれて育ったが故に恩義を感じてリターンを返したいという非常に強い利他的な動機を持ち、それ故にいざとなれば帰還してそこでまたリセットされてリエントをする。簡単に言うと、本拠地、ホームベース、帰還場所であり、出撃地基地であるような場所を絶えず持っている彼ら。我々は紐づけられた人なのに、それを自分で破壊してきた。ちょっと宮崎駿の天空の城ラピュタみたいな話だが。


■青木
ある種、自業自得ということも言えるが、そういう土台の上である種の症状としてQアノンをはじめとする陰謀論が出てきたということ。

人間の共同体である、あるいは、土に紐付けられたという意味で言うと、それぞれの暮らしている土地もある種の良い体験、成功体験とかというものを創出したそういう人たちがユダヤとか中国というある種の血縁関係みたいなもので本当に活発に動き回っている人たちに対する憎しみたいなもので、陰謀論という症状として創出した人たちが何か今噴き上がってるというニュアンスで受け止めればいいか。


■宮台
自業自得で墓穴を掘った人達、と言った方が正確だと思う。

進化生物学で理由付けもされてるが、利己的な動機よりも利他的な動機の方が強い。理由は、利己的な動機は自分が諦めたらそれでいいが、利他的な動機は自分が諦めても自分が貢献したい人はまだいるから。だから、これはまさにセリヌンティウスを助けたメロスという走れメロスの話の中核に相当するところだが、その意味で言うと紐付けを失えば人はヘタレになるし、良きものの物差しを失う。それを失っていないのは血に紐づけられた人たちだということ。

そうすると、まず劣等感を感じるようになる。さらに、自分は将来に渡って勝てないだろうという悲観的な予測をするようにもなる。そうなると、人は陰謀論で不安を埋め合わせる。そのときに、必ず不安の埋め合わせになるような力強く大きいものを呼び出さなくてはいけない。そうすると、それはトランプになる、王様になるということ。


■青木
きちんと冷静になって例えば少し勉強したりすれば自分で体験してなくてもわかることや知性として最低限身に付けておかなくてはならないようなことが否定されるというのは、もちろん宗教的な理由、色々進化論の問題などはあるだろうが、そうではなくてやはり現実逃避ということか。


■宮台
これは1940年代から50年代にかけて活躍したジョセフ・クラッパーという人の議論をみるとよくわかる。彼は暴力表現や政治的な表現の悪影響を議論してきた通説、それ故にメディアを規制するべきだというのに対して、それは違う、と。数々の実証的なあるいは実験的なデータによると、まずメディアの影響あるいは悪影響を含めてこれはすべて人間関係によって決まるということ。

どんな表現であっても、人と一緒に見るときと自分一人で見るときでは全然違う。自分一人で見ると、弾丸理論、バレッツストーリーと言うが、直撃されて信じ込んでしまう。あるいは、直撃されていろんな悪影響を受けるが、周りにできるだけ親しければ親しい人がいるほどそれがある種のバリアになって、メディアに影響を受けなくなるという議論で、同じ議論に乗っかったのがポール・ラザースフェルドという人。

基本、アメリカは中産階級が育った結果、一回失われかけていたそういう人間関係が取り戻された。だから、アメリカの中産階級が民主主義をさせるだろうで議論をそうした延長線上にしているということがよくわかる。逆に言えば、僕らは特にネット化以降、アメリカは分断されて孤立した状態で、インターネット、マスメディア、どちらも直撃される状況。その状況の下で、何もかも本当は騙されてるんじゃないかという風に被害妄想に陥ると「お前、それバカだぞ」と止める奴がいない。


■青木
要するに、「お前、それは違うぞ」、あるいは、「君、バカなこと言ってないで、そうじゃなくて地球は平面じゃないんだよ」と言ってくれるような人がいないで陰謀論みたいなものに直撃されたりすると、そっちに走るということ。


■宮台
地球平面説論者は良いとこ取りのトンマ。衛星放送でデータを手にしたり、飛行機に乗ってどこかに移動したり、外国に移動したりしているが、全部地球平面説ではあり得ない。地動説、地球は丸いということを前提にしないと全部あり得ないのだが。


■青木
いわゆるQアノン的な陰謀論、あるいはアメリカ大統領選挙は不正でトランプが実は勝ったというような一種の陰謀論みたいなものを世界的にアメリカ以外で一番信じ、少なくともSNS上で一番これを広げてたのは日本ではないのか。


■宮台
そう。日本だけ。


■青木
こういう状況ということは、要するに地下系、地下水脈というのはやっぱり日本でも間違いなく起きている、日本が一番起きているということか。


■宮台
そう。

古谷経衡君が書いていたように安倍ロスというのはもちろんある。菅では安倍の代わりは務まらないわけで、全然右翼的な言説は言わないし、何しろアメリカでいうセクシーな部分が全くないということで、安倍ロスに陥った人がトランプにそれを見出して埋め合わせたというのが非常に有力な説で僕もその通りだと思う。

ただ、問題は何故それほどその王様にすがりたいのかということ。本当に、ある種、不全感が非常にたくさんあるのだろう。これはフランクフルターの研究だが、ナチスドイツを支持した全体主義者は貧乏人ではなくて没落中流層、あるいはベルサイユ条約によって将来を奪われた中流層。だから、昔の中流時代の物差しを持っているのに自分はダメになった、しかも将来性もないとなると、何かで埋め合わせないとこのダメ意識を持ったまま生きていけなくならなくなるということで、できるだけ強く大きなものを呼び出すという図式。

だから、そういう意味で言うと日本でも、昔からよくいろんなデータがあるが、小金は持っているけど比較的モテない系で、特に自営業の人達とかは将来性はなかなか無いからということで不全感にかられて同じような陰謀論に心頭する。


■青木
今の官邸とか行政のどうしようもなさというのはもちろんあるが、安倍首相的なある種のナショナリズム、薄っぺらなネトウヨ的な犬笛的なものも大きかったのだろうが、日本式のネオリベ化という事実。これも陰謀論とか症状を発症する人たちが多くなってきているって、やっぱり大きな原因か。


■宮台
それを知るためには、18世紀の後半にアダム・スミスとルソーがそれぞれ経済と政治にほぼ同じ図式を出した。

アダムスミスは、人々が同感能力、つまり、人の苦しみを自分の苦しみと感じる能力がなければ、市場は見えざる手を働かせないという風に言った。市場に万能の市場調整能力がむしろないということを強調した。

ジャン=ジャック・ルソーは、民主制は政治的な決定によって自分の仲間のそれぞれがどういう目に遭ってということをまず想像できてそれが気になってしょうがない、という状態。僕としての僕はいいが、人はどうなるんだろう、この人はどうなるんだろうと思うときにだけ回る、と。
そうではない場合には、民主性は単なるある種のリソースを使ったモビライゼーション、動員合戦になって終わるということを言った人。

それで言うと、実は最初の新自由主義者というのはフレデリック・バスティアという19世紀の半ばのフランス人で、それが100年越しでハイエクというアメリカ人に釣られたが、彼らは市場を重視して政府の介入を嫌ったのは市場の外側にタウンシップがある、あるいは、人々のピティエがあるという前提に立つことができたから。

ところが、今はその前提がなくなってきたということにまずネオリベの問題があるが、そもそも日本にはネオリベは無い。結局、日本にあるのは、結局、既得権益のそれも大きな既得権益の足かせを取って身軽にする、と。例えば、外国人を雇用しなさい、女性をどんどん雇用しなさい、高齢者を雇用しなさい・・・これは全部、非正規雇用でできたら雇用したいわけ。それだけでななく、このコロナ対策とかいろいろ打たれても、中小企業の支援を打ち切れという政府の審議会委員会の答申が繰り返し出ていることからもわかるように、このコロナ禍を利用して実力のない弱いところは全部潰して、彼らから職業を奪ってその上で非正規雇用として低賃金でこれを雇うという図式が目に見えている。

だから、その意味で言うと、例えば、僕は昔からよく言ってるが、電力とあとマスコミ(あといくつかあるが)はそういう基幹的な部分を全然自由化しなくて、参入障壁を設けておいて、弱いものを保護していた制度だけ潰していく。


■青木
なるほど。派遣労働者に移し替えていくということか。


■宮台
まさにそういうこと。これも明らかに、利権ネットワークの中での損得勘定にしか頭にない人間たちの非倫理的な政策の引き回し。


■青木
日本式のネオリベ、あるいは、日本にはネオリベというのは本当はないという話をまた伺わせてほしい。

2021年01月05日(火) 月イチ宮台

2021年01月05日(火)
JAM The World 月イチ宮台
青木理、宮台真司

20190331_001s


昨年末のニュース、コロナ禍の緊急事態宣言の件も含めて今月も非常に重要な話が出たので、以下、レポートを引用する。「社会がダメになるときに人は輝く」とは何か、加速主義をどう進めるべきなのか、現在置かれている状況をここまで読み取らなければならない。


■青木
年末年始は何をしていたのか。


■宮台
子どもたちと任天堂のスイッチを使って、マリオパーティという複数でできるゲームをやっていた。これは実は今日話したいことにめちゃめちゃ関係があること。僕は3歳のころに東京タワーの下にあったゲームセンターで一番最初のゲームセンター経験がある。インベーダーゲームのもっと昔で、コンピュータゲームはなかった。棒の先に車が付いていてハンドルで道をちゃんと渡っていくみたいな、そういうゲームばかりだったが、僕の母親がすごくゲームセンター好きで母の兄弟もゲームセンター好きだったので僕は3歳のころからゲームを仕込まれていたという経緯がある。



■青木
なるほど。今日の話にどう繋がるのは楽しみにとっておくとして、いくつか最新の動き、最新のニュースに関する宮台さんの感想、考えを聞きたい。まず一つは緊急事態宣言がどうも再び東京と周辺の一都三県に出すという方針だが、どんな風に捉えているか。


■宮台
まず、遅すぎた云々かんぬんというのは皆さん仰っているのでそれは譲るとして、飲食店が確かにクラスターの中心であることは事実。だから、飲食店の営業規制、自粛を要求する。これも合理的。しかし、すでに一回、同じような緊急事態宣言の下でもう営業が難しくなって既に辞めているところもたくさんあるし、今回20時で終業ってことになってしまえば最も稼げるときにお金を稼げない。

緊急事態宣言を熟考的なものにするためにも、さらに緊急事態宣言の下でいろんな人たちが路頭に迷わないようにするためにも、定額の一時金とかではなくて、基本、その間に本来であったら稼げたお金の少なくともヨーロッパの基準で言うと6割から8割を補償すると証拠を出せばいいわけ。これだけ普段は稼いでいたというコロナ以前の台帳を出せばいいだけなので、それをしろということ。

あと、もう一つ。みんなに緊急事態宣言ではないものの自粛を要請していながら、菅=スカをはじめとした政治家たちが大人数で会食をしたりしていた。実は、残念ながらモラルハザードが起こっていて「政治家たちがあんな調子だろ。俺たちが緊急事態宣言とか守るのはバカげてないか。チャンチャラおかしいぜ。」ということがすでに展開されている。それはデタラメな政治家のせい。


■青木
ずっと思っているが、緊急事態宣言というのは政府が主権を強制的に一部とはいえ欧米のようにロックダウンまでの強烈さはないが制限するもの。だから、例えば、野党とかメディアがもっと早く出せもっと早く出せというのは倒錯した話で、宮台さんが仰ったようにそれ以前の話として政治家、為政者から本当の意味での血の通った言葉での危機意識だったりとか、協力の要請だったりとかというものをまず出す。それを出してないことが問題で、緊急事態宣言よりも先にやることいっぱいあるのじゃないのかという気がしている。


■宮台
本当にそう。一番大きいのはモラルハザードの問題で、イギリスやドイツの首相と比べると如何に人間としてのレベルが低いかというのがホントに露呈されてしまっているということ。そうすると、いや、この人が言うんだったら従わなきゃいけないなという感情が生じない。実際、感情的に問題がある人間たちが政治家をやっていることが多いのだろう。そうすると、そういう人間たちを見習って、僕たちが感情的にまともに生きようという意欲が無くなるのも当然のこと。


■青木
四人以下だか五人以下だかの会食をやめてくれやめてくれと口先で言ってるが、自分たちはステーキ店で9人で飯を食って、しかも、これは飯を食ったのではなくて打ち合わせをしていたんだという、感情以前の問題として嘘つき。もう一個、これも気になっているが、18日から通常国会が始まり、特措法を改正して給付金と罰則をセットにしようという動きも政権と与党は見せている。


■宮台
バカげている。一時金ではダメ。一時金は一律ではないか。そんなものではダメで、店の実情があるわけだから、「営業補償」・・・これ以外にない。ヨーロッパは基本、全て営業補償。営業を休んだ分の補償をする、6割から8割の補償をしなければならない。


■青木
もう一つ。これも先ほどの話に通じるが、罰則をセットということの問題点をどう思うか。宮台さんが仰るように、一時金ではなく休業補償するということになれば、それに従わないのはやっぱり罰則はやむを得ないということになるのか。


■宮台。
まったく合理性を欠いたデタラメな法制度。あり得ない。まったくあり得ないような法律。


■青木
なるほど。もう一つ、1ヶ月の間に起きたことで聞いておきたいのは、安倍前首相の公設第一秘書が略式起訴されて、安倍前首相は不起訴という判断を検察が下したこと。こういう動きも大きなニュースとしては年末にあった。


■宮台
まったく無意味なただの手打ち。安倍が関与しているのは明らかだが、秘書にとどめるということで官邸と検察の間で合意があったということは確実。それ以外にはあり得ない。


■青木
ただ、検察という、ある種、行政権力の一翼を担う組織のありようとしては宮台さんが仰るように手打ちなのか、あるいはここらへんで矛を収めるかということも言えるのだが、国会であれだけ虚偽の答弁を連発をして安倍さんは知らなかったというのはいくらなんでもあり得ないと思う。


■宮台
あり得ない。何代も仕えてきた腹心。


■青木
検察の捜査が手打ちになるのは検察もそうなのかという感じだが、これでいいのかというともちろん良くない。行政、行政府の長が、国権の最高機関たる立法府の場であれだけ嘘をつきまくって、さらにまた嘘でごまかそうとしてるというものをこのまま一件落着で終わらしたらまずいという気がする。


■宮台
それは日本の国体がすでに崩れているということそのもの。安倍の嘘はバカバカしくて、国会で追及されたら、その秘書にこれ本当のところどうなんだと聞けばいいだけ。知らなくて聞かなかったということはあり得ない。聞かなかったのは知ってるから。それ以外は絶対にあり得ない。知っていれば違法。だから、もちろん罪に問われる。しかし、そこをなあなあで済ませた。それが手打ちというもの。それは前に黒川人事の問題で新しい法律を作られてしまったその結果である。検察の人事問題で二度と口を挟まないでいただきたいみたいな取引だろう。


■青木
官邸権力と検察権力の間で行われているということくらいに冷めて見て、冷たく突き放すというのが、我々は必要だということか。


■宮台
その通り。


■青木
それでは、お正月にお子さんとしたゲームの話を聞きたい。


■宮台
それは「社会がダメになれば人が輝く」という僕の小室直樹師匠が仰った20年前の言葉。これが本当にピンとくるようになった。当時はなんだそんなもんなのかなあという感じだったが、今は完全に実感を持って感じられるということ。


■青木
この社会がダメになれば人が輝くというのはなんとなくわかるような気はするのだが、例えば、混乱期というものは例えば普段は現れないような、あるいは普段だった埋もれるような優れた人だったりとか、英雄だったりとかというものが出てきて、世の中を変えていくというようなイメージに捉えがちな人もいると思うが、そういう意味なのか。


■宮台
そういう意味なのだが、どうしてそういうことになるのかというメカニズムが重要。そのメカニズムを最初に喝破したのはマックスウェーバーで、小室直樹先生はそれを継いでいる。

ウェーバーには有名な「鉄の檻」という概念がある。これは要するに複雑な社会は手続き主義的な官僚制がないと回らない、と。しかし、この官僚制は役所だけではなくて、病院だろうが、学校だろうが、NGOだろうが、放送局だろうが、どこも覆っていく。簡単に言えば、人を取り替えても大丈夫なように組織をつくるということ。しかし、そうすると人は入れ替え可能なパーツになって貶められて、没人格化、つまりBOTになってしまう、と。最初は、つまり、出発点では役所の中ではBOTだがその外に出ればBOTじゃなくなるというオンとオフがあったが、残念なことにこの鉄の檻がどんどん広がっていって外がなくなる。そのことをマックスウェーバーはとても憂いていた。鉄の檻化と没人格化、つまり、クソ社会化と人のクズ化が完全にセットだという風に言った。そして、実はハイデガーという人がウェーバーの事実上の影響の下でプラス技術というのを持ち出した。

つまり、まとめて言うと、人を頼らないでシステムを頼るというのは人を頼らないで官僚制や技術を頼るということ。そうすると、人との交流がなくなるから人は感情的に劣化する。その感情的な劣化は必ず法と美意識の文化として現れるという風に言う。これはソクラテスを引用している。

法を守るのは何故かというと、それが私の美学だからだという構えが本来の構えだったが、法も守るのはそうしないと罰せられるから、罰が怖いから、罰が軽いんだったら平気で破るぜというのと対称。これが法と美意識の文化。やがて美意識が廃れて、法だけになる。そうすると、僕の言葉で言うと法の奴隷がウヨウヨ湧く状態になるということ。そのシステム、つまり、官僚性と技術が頼れなくなれば、人は鉄の外の、檻の外に出られるということが実はウェーバーの預言。

ところが、ハイデガー、ウェーバーを継いだマルクーゼという人が出てきて「技術は必ずしも官僚制と同じように人を劣化させるだけではないんだ」という風に言う。言い換えると、法と美意識の一致、合致をもたらすような、あるいは法と美意識の分化に貢献しないような技術もあり得るんだという風に言う。それを彼はエロス的な技術と言う。エロスというのは別に性愛ということに限らず、いわゆるフュージョンでコントロールではなくてフュージョンということ。逆に言うと、行政官僚制も今までのテクノロジーも、基本、コントロール思考(当たり前で、統治のために使っているのだから)。多くの場合はそうではなくて、まさに広い意味での統治の鉄の檻の外に出ることを可能にするような技術、フュージョンを可能にする技術、エロス的な技術もあり得るという風にマルクーゼは言った。

マルクーゼがこれを言った頃は、60年代の学園闘争の時代だったということもあって、そういうオルタナ技術に対する人々の合意ができるという風に彼は思った。だから、革命によってそれを達成しようという風に呼びかけていたが、無論、僕らは60年代、学園闘争の一過性、その顛末、その後の何十年かでの感情的な劣化をすでに知っている。だから、革命したところで、感情的に劣化した奴がリーダーになったりするのだから到底ダメ。

そこで、任天堂スイッチ的なもの。つまり、エロス的なものに人を巻き込むような技術をテックデザイナーが市場で世に問う必要がある。市場のニーズに応えて何か作るのではなく、市場にこれこそがあなた方を幸せにするんだという風に折伏するということ。これが前にも言ったアップルのスティーブジョブズの「Think different.」ということ。

先ほども言ったが、実はゲームならゲーム、バーチャルとか拡張に関わる新しい現実に関するいろんなものが出ている中には、やはり共同身体性や共通感覚を育てるのに役立つものがある。例えば一つ挙げるとマリオパーティーで、これはジョイコンというGセンサーの付いた握りというのをみんなで握って、バンバンバンバン動かしたり、ずらしたりしながら80種類のゲームを楽しむが、この全部が昭和のローテク玩具をみんなで遊んでるような共同身体性や共通感覚を与える。


■青木
テクノロジーというものによって、人間はこれから2つの方向に行く可能性があって、一つは要するに人間をどんどんどんどんダメにしていくという方向のテック(今までのテックがそう)と、もう一つは人を感情的に豊かにして、共同体、共同体的な関係を営めるような方向にもっていくようなテック。その後者のことを仰ってるのか。


■宮台
そう。だから、それは、マックスウェーバー、ハイデガー的な絶望に対して、マルクーゼという人が「もう人間の劣化は人間の力では止められないので技術の助けを借りることが必要になった」という風に言っていたこと。


■青木
あえて言えば、官僚制、組織とか統治機構の内部というのは宿命的に劣化していくわけか。


■宮台
そう。加速主義者もマルクルーゼを事実上継承しているが、民主的な決定による制度による社会変革なんて無理だ。何故かというと、民主制を支えている人間たちが政治家を含めて超劣化しているから。だから、制度による社会変革ではなくて、テックによる社会変革にしか可能性はない、と。それを市場を使ってどれだけ実現できるのか。世直しという観点からすれば、独占こそが良いんだというピーターティールの発想になっていくということ。つまり、プラットフォーマーの推奨。


■青木
僕はマリオパーティーをやったことないので今一つ何なのかよくわからないが、ゲームをすること、特に宮台さんの場合はお子様たちとすることで子供たちとの絆とか、あるいは子供たちの教育とかにとって、将来の希望のあるテックというものがマリオパーティーの中にはあるということなのか。


■宮台
間違いなくある。例えば、みんなで踊るとなぜ楽しいのかというとシンクロして繋がって一体になれるから。実はこの80種類のゲームのうち1/4、1/3ぐらいがいわゆる音ゲー。つまり、音に合わせてタイミングを取るというもので一見すると音ゲーに見えないが、音に合わせてみんなでタイミングを取るということで、実は競争が起こって、しかしみんなでタイミングを取るので競争しながらつながっている感じがする。そういうものが典型。もちろん、キャラクターの作り方とか音の作り方とかもすごい。いい意味で昭和的。ほのぼのとしていて、それこそ鬼滅の刃の鬼的な競争ではない、みんながつながっているから競争というのはあるという、そういう感じを醸し出しているような本当によくできたプラットフォームだと思う。


■青木
子どもたちというのは地域社会だったり共同体だったりとか遊びの中で、規則とか決まりとかなんてものを飛び出して危険なことをする、と。体験の中で身体性みたいな物を身につけていく、と。例えば花火を水平撃ちするとか、そういうようなことを僕はもちろんやったし、宮台さんの世代だともちろんやっていたと思うが、今の子どもたちというのは親にも止められるわ、周辺環境もそんなのではなく、そういう身体性みたいな物を身につける機会がなかなかないということに対して、警鐘を鳴らしていたが、そういうものをこのテックである程度仮想体験できるということか。


■宮台
出発点が与えられるかどうかということ。今、青木さんが仰ったことは、別の言葉で言うと「法」と「掟」は違うということ。法と、あるいは、法道徳と美意識が一致した状態、これが「掟」。

例えば、日本の昔のヤクザとか、シチリア島ルーツのマフィアとか、今やってる映画「バクラウ」でいうとバクラウ村の人達というのは基本差別されないことにされてきた存在であるが故に法の中では生きられないから、法の中にいるフリをして自分たちの掟によって結ばれたシンジケートを作る。そういう風にして生き残る。古くは18世紀、19世紀、めちゃめちゃ差別された合衆国の銀行家=ユダヤ人たちもやはり同じようにして、これは別に違法というわけではないが普通の人間が持たないような絆の掟を作って、いろんなものをシェアして、普通の人がアクセス出来ない情報をシェアするということによって地歩を固めてきた。だから、陰謀論というくだらないものも出てくるが、歴史的には確かに陰謀論が出てくるかもしれないような僕たちにはないような絆を作ったということ。


■青木
その掟というのは法で決められているからとか、罰則があるからとか、そういうことではなくて、守ることが美しい、美的だと言うような美意識の中で守られる、と。

■宮台
内から湧き上がる力によって自然に従ってしまうものが掟で、したがって、掟というのは必ずしも言語化されていない。何故かというと、言語を参照してそうしないといけないという風になったら、その途端に損得勘定になる。掟というのはそうではなくて、みんながそう思うように俺も思うという中である種の型が反復されること。


■青木
法と掟の違い、法と掟のあり様みたいなものをテックによって、先ほどのマリオパーティというのはその最初を作れるかもしれないと言ったが、テクノロジーでそういうものを教育というか何か植え付けていける可能性があるということか。


■宮台
デザイナー次第。そのようにして共同身体性を獲得した人間がバーチャルなゲームの中であれ、単に法に損得で従ってる奴と法は破るけれども掟で繋がってる奴が戦うみたいな、ある種の物語的なゲームを作ればそうしたことは可能になると思うし、そうした方向性のゲームがないわけでもない。


■青木
テクノロジーというのは可能性はあるのかもしれないが、これだけ世界的にガチガチにコンプライアンスみたいなもので締め付けられていると、そういうそのゲームにせよ、映画とかその芸術もそうなのだろうが、抑えられてなかなかテックの世界には出にくいんじゃないか、という感じがする。


■宮台
だから、コロナを奇貨とするという言い方をしたが、ダメなシステムはとっとと滅びるって事が重要で、そうすると、簡単に言えば、茹でガエルにならずに新しいシステムを模索せざるを得なくなる。要は、僕たちがまだ沈みかけた船の中での座席争いに意味があると思っているわけ。だったら、とっとと早く船を沈める。自分たちの力では沈められない。天変地異がそれを沈めてくれる。そういう発想は一部の加速主義の考え方になる。


■青木
例えば、マックスウェーバーの言うところの鉄の檻の官僚制とか組織の宿痾というものでどんどんどんどんダメになっていくというのがなるほどそうだろうなぁと思うところが9割ありつつ、それでも組織の中で複数人の変革者、あるいは、宮台さんの言うところの法の奴隷とかにならないような者たちが複数人いれば変わり得るのではないか、希望はまだあるのではないかという風に思う人もいるし、若干そう思うところもある。


■宮台
それは仰る通りだが、マックスウェーバーはそのためにそういう人材を「政治家」という風に呼んでいる。これはある種の比喩でもあるが、そういう政治家たりうる存在、鉄の檻の外に出る、あるいは、皆を救う、愛と正しさのためには法を破って自分が血祭りにあげられる覚悟を持つような存在が実際に社会が生み出せるかどうかというところがポイント。

しかし、社会はいいところ、いいとこ取りできないので、衆生、ピープルはどんどん感情的に劣化するが、しかしそれでも政治家足り得る劣化しない豊かな人材が残るということはやっぱりない。このピープルが大規模に劣化していくのであれば、そういうピープルとの人間関係の中で政治家に足り得る存在も育つので、実際には政治家の人材も出てこなくなるに決まっている。そこが実は悲観のしどころで、悲観をするとすれば昔のような成熟はもう出てこない。出て来る可能性がプロバビリティ、蓋然性は極めて低いということを覚悟する必要があるということ。


■青木
そうなると、つまり、社会がダメになるときに人は輝くんだ、と。宮台さんが言うところの加速主義というやっぱり一度沈没しないとダメで蘇らないといういつもの話に行くのだが、そういう中で我々はどうやって生きていくのだろうか。沈没する船の中でポジション争いに一生懸命になるのではない生き方というものをどうすればいいのか、破滅から何とか逃れるというか被害を最小限化して行くにはどうすればいいのかというあたりが気になる人もいると思う。


■宮台
それを提案したのがレベッカ・ソルニットという人の「災害ユートピア」という80年代のサンフランシスコ大地震を取材した2009年の本。システムが完全に災害でダウンすると、場所によってはそれこそ昔とった杵柄的に今は一見失われていた人の絆が復活して、あの人はそんなことができるのか、この人はそんなことをしてくれるのかというお互いの発見を通じて、新しい絆の結び直しがある。しかし、またシステムが復旧すると災害ユートピアは不要になるので、人々はまたシステムに依存して人とのつながりを失ってしまうという話。


■青木
例えば、阪神大震災の時に25年前はそれがあった。山口組のヤクザが物資を地元の人たちのところに食料を供給したりなんてことが起きた、と。それもある意味で災害ユートピア的な動きだったみたいなことを指摘されている。


■宮台
まさにそう。つまり、災害ユートピアの中で生じることは、システム化の中で見えなくなっていた人の力が見えるということ。システムがどんどんどんどん駄目になっていけば、その中で誰が立派で誰がヘタレなのかがどんどん分かっていくということ。これは僕が中学高校紛争の時、71年に高校に入ったから紛争経験しているが、やはり、そういうある種非常時になると、信頼できると思ってる奴がもう本当に簡単に裏切っていったりとか、こいつ本当にいけ好かない奴だなあと思ってる奴がすごく仲間思いであるということに気がついたりする。まったく別のビジョン、システムの中に埋没している時には見えなかった顔が見えてくる。だから、それが実はとても大切なことで、それが実は人の本当の性能を表している。システムの下駄を履いて偉そうにしてるようなクズを立派だと思うような勘違いから逃れることができるということ。


■青木
今のコロナ禍もそうで、今年は東日本大震災から10年でもあり、これから日本がちょっと良くなっていくような風潮というのはもう今の政治社会を見ているとない中で、やっぱりみんなが困っていく、あるいは、ある人たちは座席争いをしているが、あるところでは貧困化がすごい深刻化してくることが起きてくると人間の本当の性能みたいなのがいろんなところでどんどん見え始めてくるということか。


■宮台
そう。一点難点だとよく指摘されるのは、加速した結果、弱者が困ることになるじゃないかという話。それはゆっくりだから弱者から困る。そうではなくて、一挙に沈没すれば強者も困る。それもあって一挙に沈没していく必要があるという風に言っている。ゆっくり沈没するから、弱者がどんどんどんどん苦しめられる、苦しみが長く続くという状態。逆に言うと、リソースのあるものが生き残れるということになる。だから、加速ということでもある。


■青木
リソース、要するにシステムみたいなものとか、そういうものを一回外したところで本当の意味での人間の本性、人間というのはどう生きるべきかとか、何を目的としてどう人間共同体を作っていくべきかみたいなことのもう一回原点がその時に見えてくるというところに「社会がダメになるときに人は輝く」であり、人が見えるということなのか。


■宮台
そういうこと。だから、すごく難しくないことを申し上げている。


■青木
そうすると、このままどんどんどんどんダメになっていくという道のりを経なくても、僕ら一人一人がちゃんと考えてちゃんとものを見ていけば気付けるのではないかという気もするが、そういうことはないのか。


■宮台
そういう風に思う方がたくさんいるということは良いことだと思うが、しかし、支持率が下がったって言っても、菅政権はまだ4割の支持率。安倍政権の末期には7割の支持率。ある種のご祝儀的なものだが、結局、これがマクロで見た場合の日本人ということ。なので、青木さんが仰ってるようなことはマクロな日本人全体では言えない。マクロには、ホントにウヨ豚みたいのがウヨウヨしている。クズがウヨウヨしている。しかし、ミクロに見ると、この村には、この地域には、僕の周りにはそういう流れとは全然違う人間たちがいる。だから、その人間たちとともに社会という荒野を生きていこうという、それが「社会という荒野を仲間と生きろ」というスローガン。


■青木
自分の考え、動き、生活、あるいは、業に目を凝らして、周りに本当に目を凝らしてよく見ておかないと、自分もまさに鉄の檻の中の単なる奴隷になってしまうし、そうじゃない仲間を今のうちに何人かでも見つけておかないといけないということか。


■宮台
そういうこと。そうすると、苦しくても連帯していると人は苦しくない。これは、昔、自動車絶望工場を1971年に書いた鎌田慧さんに僕が問うたことがある。アキバ事件の加藤智大は確かに生活も苦しかったが、自動車絶望工場に描かれた当時の季節労働者、期間工たちは今よりも、つまり、加藤智大の現在よりもはるかに貧しかった。しかし、タコ部屋に詰め込まれているが故に実は連帯できた。それを描いた映画はたくさんある。

自動車絶望工場の工員さんたちと加藤智大、どちらがきつかったと思うか。即座に即答できる。加藤智大の方がきついだろう。人は孤独になれば、ちょっとしたことに耐えられなくなるということ。
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